2019年10月09日

「凪のお暇」は、ドラマとして成立していたのか?

「映画・ドラマの評価」を考察し続けている。

ハヤシライスを「カレーライスの評価基準」で吟味してはならぬとの意から、「映画・ドラマの分類」が前提である。

そして、4つの分類をすでに提示しているが、4項目目を変更し、以下にしたい。


・「情熱」の対決。
Duel of Passion

・喪失した「情熱」。
Loss of Passion

・喪失した「感情」。
Loss of Emotion

・「性質」の露出。
Exposure os Nature


TBS演出家・鴨下信一氏は、「最近のドラマにはアンタゴニストが足りない」と文句を言っていたが、昭和のドラマ(向田邦子作品)にも、アンタゴニストは少なかった。

父と娘が対立していても、「大喧嘩」はしないし、ノラのように「出奔」しない。「立場の対立」はあるにしても、それが「対決」に昇華しないのである。


TBSドラマ「凪のお暇」。
家族の空気ばかりを読み、「自主的に生きること」ができない男女が主人公である。

忖度ばかりで、

・対決する「情熱」

もないし、

・(喪失と感じられるような、愛おしい)「感情」

もない。

ただただ、「(肉親への)思いやり」を言い訳に「自堕落に行動する自分」を許容する毎日を、淡々と描いているだけ。


この作品が失敗作になるなら、分類として成立しないでよい。

だが、どうなのか。

黒木華、高橋一生の魅力で、ドラマとして成立しているかに思える。

考えてみれば、「思い悩んでいる」だけで、何もせず、葛藤とも言えぬ堂々巡りの心理を繰り返す主人公は「夏目漱石の小説」に同じ。
ならば、分類としては否定してはならぬ。存在すべきと考えた。

それが、

・「性質」の露出
Exposure of Nature

という分類である。
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | ドラマ・映画・演技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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