2019年09月19日

宮崎駿と高畑勲の本質的な違い。

高畑勲氏の展覧会が開催されているとか。生前の彼の周辺の人物に取材した番組がオンエアされていた。

高畑氏と宮崎氏は東映アニメーション以来の盟友だが、二人の本質的な違いを一言で表現すべきである。

・宮崎駿: Duel of Passion

・高畑勲: Loss of Emotion

番組では、以下のようにまとめられていた。

・宮崎駿: 勇気・希望・たくましさを表現する。

・高畑勲: 人と人のつながり。思いやり・思い入れ。


音楽にたとえるなら、

・宮崎駿: 長調

・高畑勲: 短調

となる。

つか、

・宮崎駿: ひとのあわれ。(神々の愛憎)

・高畑勲: もののあわれ。(無常)

ということになる。


番組では、高畑作品の

・余白のある表現。

・手書きの輪郭線。

という特徴を指摘していた。

だが、それらが「もののあわれ・無常」を表現するために選択されたことを指摘しないのは不備である


高畑氏の作品と対照すると、宮崎作品が「前向きソング」のような薄っぺらいものと思えてくるから、不思議。

私たち日本民族の本質は「もののあわれ」をイツクシむ。


宮崎氏の作劇術は日本古来のものではなく、「西洋かぶれ」。

パンにパスタにカレーも美味しいが、白いごはんと味噌汁が日本人の主食なのである。

 
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | ドラマ・映画・演技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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