2019年09月10日

アンパンマン批判(即物的な読解する知性を批判せよ)。


テレビアニメ「アンパンマン」が、こどもに「暴力」を薦めていると、視聴を控えるように発言する人がいるという。

世の中には、「親がきちんと伝えれば大丈夫」とか、「こどもにも理性・知性があるから大丈夫」との意見が・・・。

spontaが指摘したいのは、

そのような

・即物的な読解は、知性のなさ

を表現していること。


「アンパンマン」のテーマ曲は、

・「愛と勇気だけが、友達さ」

と、暴力の理由を「愛と勇気」と明確にしている。

・「頑張れ。アンパンマン、みんなのために」

ともある。

原作者のやなせたかし氏は、アンパンマンが自分の顔をチギって与えるのは「自己犠牲」の精神としている。


アンパンマン批判者は、非武装中立論や、死刑廃止や、警察権力を否定する「アナキスト」だろう。

ミュージカル「ラ・マンチャの男」の名セリフは、

・最大の狂気は、あるべき理想のために戦わないこと。

である。つまり、

・世の中と「慣れ合うこと」

を批判している。


たとえば「N国」という政党。

誰でも、容易に受信できる電波を有料にすることは、「(別途の)税金」を徴収しているのと同じ。
「契約したら支払う義務がある」との見解だが、ならば、「契約しない人」税金を支払う義務はない。ならば、すべての国民は、ビジネスホテルのように「訴えられる」まで、契約書に判を押さなければよいのか。
つか、テレビが贅沢品であった昭和30年代初頭ならまだしも、「災害情報告知」など、国民の基本的手なサバイバルに重要な役割を果たす情報ツールを有料にすることの妥当性はない。
N国党首氏の「ぶっこわす」根拠・論拠は別のものかもしれぬが、それは「アンバンマン精神」と同じ。そのパフォーマンスが「気持ち悪い」からといって(マツコ嬢のように)批判するべきではない。


世の中には、「即物的」に表面だけを読みとる人が多い。
そのタイプの人は、

・速弾きの女性ピアニスト

を愛でたり、

・超絶技巧の伊藤若沖

の展覧会に足を運ぶ。

だが、
ジャズピアノで重要なのは、「スウィングしているか?」であり、

日本画は、細密画とは異なる。

そのような重層構造を理解せず、想起せず、鑑賞・読解する人が多いのは、残念なことである。


「表面的に示されている」ことの深部を探ることが、鑑賞の醍醐味なのに・・・。


17世紀フランス古典演劇理論には、「内的適合性」という概念がある。

これは、登場人物の「思想」と「行動」の整合性が取れているという意味だが、それは、人間の行為という「表面」と、その裏にある「(そのシーンにおける)動機」「(相手や環境に反応した)感情」「(経験からくる)世界観」「(民族共有の)社会通念」「世界観」を反映したものである。

それらを想起しないのは、浅薄である。

つか、堺屋太一氏のように「戦国・時代劇」を使って、「現代のビジネスシーンを表現しよう」などというのは、間違っている。

posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | ドラマ・映画・演技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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