2019年09月05日

日本人の「自虐癖」を改めろ。

三島由紀夫だったか、日本語の特徴は「主語の省略」と指摘した。

その意図は、「近代的自我」を日本人が確立していないという「自虐」に通じる。

「私は」は勿論、「私達は」でもない。無責任の構図だというのだ。



かつて、アメリカ人の高官だったと思うが、「日本の民主主義は幼児レベル」と批判した人がいたっけ。

昔、民芸の女性演出家と話した時、「最近の若者は、エチュードをすると傷ついてしまう」と嘆いていたのを思い出す。

曰く、「自己が確立できていない」から、「他者と対立できない」・「他者と向き合えない」。


だが、それは「人間観」の違いであって、日本人が「自己批判・自虐する」必要はない。

私たち日本人の基本単位は、

・個人ではなく、帰属集団

であり、

・対立ではなく、忖度

を尊ぶ。


民芸の演出家が、「若者が対立に耐えられない」のは、「個人が弱い」のではなく、「帰属集団が根本」だから、「対立する」という発想がないのである。
帰属集団の中では、忖度が重要であり、他人のことを考えていれば、自分のことは他人が考えてくれる・・・。

数学者の岡潔先生が指摘しているが、日本人の特徴は「対抗心ではなく、向上心」。したがって、「つねに自制的であること」でわが身を律している。そうした主体が「他人と対立して傷つく」のは、当然である。

三島由紀夫は「無責任な日本人」と批判したのだろうが、日本人の最小単位が「帰属集団」だから、「私」「私たち」なる単語・概念は必要ない。

本来、内省のために行う「切腹」を、自己アピールのために使った文学者・三島は、日本精神を理解していない。西洋カブレだ。

議論で「相手を打ち負かす」習慣がないなら、日本の民主主義は子どもレベルで当然。議論や多数決で「結論を導き出す」という発想がそもそも存在しない。


そのような日本人の自虐癖・自嘲癖をいいことに、半島の人たちが「(信憑性に欠ける)身勝手な議論」をケシカケていることにそろそろ気づくべき−−−。

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