2019年08月22日

映画&ドラマの5類型。(その1)



小津安二郎監督の遺言は、「映画はイベントではない。ドラマだ」である。

溝口健二監督は、新藤兼人の脚本を「これはシナリオではありません。ストーリーです」と突っ返した。撮影現場では、俳優に「それはあなたたちの仕事」と演技指導は一切せず、「反射してください」と要求しつづけた。

世界的な映画監督の教えから、以下が導き出される。

o  映画はドラマである。
x 出来事(イベント)の羅列はダメ。(ストーリーはダメ)

o ドラマを生み出すのは、シナリオ。
x 出来事(イベント)が羅列されるのはダメ。(ストーリー)

o 人間と人間の「反射(人間関係のケミストリーな現象)」が描かれるのがシナリオ。
x 人間と人間が「有機的な反応を起こさない」のはダメ。

o 相手役のセリフに呼応・反応するのが「演技」。
x 「反射」がない演技はダメ。(段取り芝居)

これらは、青山昌文美学でいうと、「叙事詩的なもの」の否定である。


小津・溝口。そして、落第生としての新藤兼人のエピソードで、「映画&ドラマ」が分かったような気分になれると思ったら大間違い。

「ふぞろいの林檎たち」で知られるTBSの演出家・鴨下信一氏は、「最近のドラマはアンタゴニスト(人物構成における対立)が足りない」と発言しているが、ことは単純ではない。

松竹大船調の作品や、向田邦子作品において「アンタゴニストが豊富」とは必ずしも言えない。

大船調の作品では、小市民たちが「肩を寄せながら生きていた」し、向田作品でも「娘が父に全面対決をする」ようなことは起きない。主人公たちが、忖度(お互いを思いやりながら)、誠実に生きていた。


小津・溝口の発言は正しいにしても、演出家・鴨下氏の発言には、「そうとばかりはいえない」という疑問符がつく。
その理由は、

・アンタゴニスト(対立)は、西洋芸術の伝統・神々の愛憎劇に起因する。(ひとのあわれ)

であり、一方

・日本芸術の伝統は、「もののあわれ」。(無常・運命・宿命)

だから。


とはいえ、西洋的価値観の浸食を受けて、日本人の「芸術作品鑑賞」の様相も変化してきた。

たとえれば、ラーメン。
昔は「醤油ラーメン」で満足していたが、「背脂チャッチャ系の濃厚白湯」を一度知ってしまったら、もう、「あっさり系醤油」には戻れない。

とはいえ、世の中には「醤油ラーメン」も、「塩ラーメン」も、「背脂チャッチャ系濃厚白湯」も併存する。
映画&ドラマの世界も同じで、「対立の強いドラマ」が韓国やハリウッドから流入してきたからといって、「対立の弱い(忖度する人たち)のドラマ」を否定してはならない。


そこで、spontaは、次の構成要素を想定した。


【表現形式】

・Duel(対立が対決に展開する)

・Loss(喪失により、大切さを痛感する)

・Contrast(対照的に印象づけられる。事象は対立関係にある)

・Reference(参照的に描かれる。事象はメタ関係など、対立関係でない)

【表現内容】

・Passion(意志)−−−主体性

・Emotion(感情)−−−忖度

・Nature(性質)−−−悟性・インセクト


表現形式4分類。表現内容3分類によって、「映画&ドラマ」のコンポジション(構図)には、以下の5分類が成立する。

1. Duel of Passion

2. Loss of Passion

3. Loss of Emotion

4. Contrast of Nature

5. Reference of Nature


九州白湯長浜ラーメンが Duel of Passions

昭和な醤油ラーメンが、Loss of Emotion

である。


posted by sponta at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | ドラマ・映画・演技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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