2019年08月04日

津田大介さん。「うんこ・ま○こ・ちんこ」に表現の自由はありません。


381名無しさん@1周年2019/08/04(日) 07:27:05.28ID:5HmMCRHz0

「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」

 会場に入ってすぐ、細い展示通路の壁にTVモニターがあり、そこで昭和天皇の写真を焼くシーンが含まれる映像作品が上映されてい
 た。 寿司屋で炙りサーモンするときのカセットバーナーで、昭和天皇の写真を焼いていき、最後は燃え尽きて灰になった写真を足で踏み
 つける表現は過激だ。映像を見ていた強面のお兄さんたちからは「不敬だ!」「こんなものに税金つかってるのか!」と怒声が上がり……
奥に進むと、反米、反基地、反ヘイト、憲法9条、慰安婦のおばあさんの写真、慰安婦像、裁判になってる群馬県朝鮮人強制連行追悼碑
のオブジェなどがズラリ。一番スペースを使っているのが朝鮮人強制連行追悼碑で、次が慰安婦関連。
 「あっ…そういう人たちのアレなんだ…」
 税金使ったイベントで特定の思想をプッシュするのは怒られるでしょそりゃ。
 展示作品の中には当初SNS拡散OKだったのか、作品の紹介パネルに「撮影写真・動画のSNS拡散推奨」と書かれていたものを白い
 テープで隠していたものもあった。

日本では、「死ね」「殺す」と発言することの「表現の自由」はありません。

「何でも言ってよい」というロンドン・ハイドパークの「スピーカーズ・コーナー」でも、「女王陛下の悪口を言ってはいけない」というルールがあります。

私が行ったのは平日で、だれもいなかったが、娘が行ったのは日曜日で、賑わっていたとか。
娘は数日間のロンドン滞在で、一番の収穫だと明言したが、その感想は、「ガス抜き」の一言。
ま、私の娘らしい。

だが、津田氏の今回の件が「ガス抜き」との印象は一切ない。

「芸術は、この世界の本質を表現するもの」だとするなら、過去の展覧会で「展示禁止になった作品」について、その構造を痛烈に批判する。または、「メタ論的に論じる」なら、「芸術としての価値」があった。
日本では、「死ね」「殺す」と発言することの「表現の自由」はありません。

「何でも言ってよい」というロンドン・ハイドパークの「スピーカーズ・コーナー」でも、「女王陛下の悪口を言ってはいけない」というルールがあります。

「芸術は、この世界の本質を表現するもの」だとするなら、過去の展覧会で「展示禁止になった作品」について、その構造を痛烈に批判する。または、「メタ論的に論じる」なら、「芸術としての価値」があった。


マルセル・デュシャンの泉は、美術展の観客に「小便器を鑑賞させる」という意味で、「美術・芸術を進化させた」。

しかし、今回の津田氏の営みは、「説明書きはある」にしても、アート自体はそのまま展示されているよう。それの行為は、「過去の展覧会の主催者たち」の批判であり、「美術・芸術・表現」の歴史を「進化させない」。
津田氏の専門である音楽を比ゆ的に使えば、「反逆のロック」ではあるが、「(スウィングジャズに始まり、フリージャズに向かったような)進化を求めるジャズ」ではない。

・昭和天皇を燃やした作品

があるなら、それを「構造化」「メタ化」する作品を提示するような工夫があってよかったし、

・慰安婦とされる少女像

があるなら、それを「(多様な意見に配慮して)否定する」のもよいし、それを「構造化・メタ化」することも可能だったと思う。

そのような「芸術的な営み」がなかった津田大介氏は、ジャーナリストではなく、イデオロギストなんだと思う。

そして、私は「ポストモダニスト」。

津田さん、または、周辺の人たちからの反論を待っている。
posted by sponta at 07:26| 東京 ☀| Comment(0) | 公開メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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