2019年07月28日

大船渡高校野球部監督のアンシャンレジーム(古臭さ)。

5ちゃんねるにコメントしたが、長文だったので、アップされたのは、四角で囲んだ後半部分のみ。

国安監督は、「普段は生徒たちが話し合って決めるが、今回は、ナインに心の傷を残してはいけない」と、自ら決断と胸を張っているというが、これが間違い。筑波大学出身だというから、アカデミストの「近代主観主義」に陥っている。


「監督が決断して、佐々木投手の決勝戦欠場を決める」というのは、主観主義。悪く言えば、印象批評。

大船渡高校の監督が行うべきだったのは、ポストモダンなやり方。つまりは「形式批評」。


やるべきだったのは、

・1試合には100球までしか投げない。

・日にちを続けて投球しない。

のように、

「評価基準」を決断・決定して、それをチームメイトたちに、「妥当性を吟味させる」こと。

「チームメイトたちが納得」していれば、「チーム全員で、できる限りのことをして、負けた」となる。

今の状況は、「佐々木投手の将来 vs. 甲子園出場」を監督が秤にかけて、「監督の主観(思い込みの可能性は捨てきれない」」を果たしたに過ぎない。

・前日に200球近く投げた。

・直球の速度に比例して、怪我の可能性は高くなる。

・前々日に、佐々木投手は肘の裏の違和感を訴えていた。

これらを総合した「論理的な結論」だとしても、チームメイトたちを「カヤの外」に置いたのは、「教育者」としてイタダケナイ。


たしかに、「決勝戦に佐々木が投げなかった」ことを批判するのは「狂信的な高校野球ファン」だろうし、プロ野球関係者たちは、「当事者にしか分からないからと、国保監督を擁護する意見は放つ。

だが、国保監督は、「評価基準を明確にせず、(自分の勘だけを頼りに)決断したに過ぎない」。

・球数制限。
・登板制限。

を明確にして、「生徒たちの納得」を得て、試合に臨むべき。

だが、監督は「決断した」男気を誇っている。

モダニズムの時代は、それでよかったのかもしれぬが、ポストモダンの令和の時代には、「古めかしい」ダンディズムである。


ポストモダンについて知りたい人は、spontaのブログをご覧ください。

この記事へのコメント
問題は、肘・肩ではなく、股関節痛だという報道が。

真相は、当事者でしか分からないんだよね。
(-_-;)
Posted by spt at 2019年07月29日 18:47
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