2019年06月12日

「14歳の輪姦被害」を告白した三浦瑠麗さんにポストモダンの立場から思う。(その1)



「14歳の帰り道、車でさらわれた。あれが「魂の殺人」だと、今の私は思わない」


だそうである。

複数の男に車で拉致されたのだから、和姦な筈はない。
つまりは、「暗黙の合意があった」などという言い訳が通じるような経験ではない。
被害を受けたが、彼女は、母親にも、警察にも、産婦人科にも行かなかったとか。


父親は心理学者。 (東大院卒、防衛大学校教授) 

※ 詳細は知らぬが、心理学者の父君が、娘の心の疵に気付かなかったのだろうか。
もし、そうなら、笑止。心理学とは「そげなもの」。

理解ある夫は、東京大学の先輩で、元外務省の役人で、現在は投資ファンドの代表。


私のもとには、ミソジニー(女性嫌悪)からくるバッシングが日々、数えきれないほど届きます。そういう「目立って叩かれやすい三浦瑠麗が、どうやって嫌がらせや生きづらさを克服してきたのかを書いてほしい」というのが編集者からのオーダーでした。

三浦嬢から、ミソジニー(女性嫌悪)と受け取られるのは心外なので、「娘を持った父親」の立場から感想を述べる。もちろん、「読んだ本」への感想ではなく、「性的な被害を公開したこと」に対する反応である。
ことの本質を、「性的な被害を書いた本ではない」と言うのなら、「何について書いた本なのか」を明確にすべきである。ニュースサイトの構成からいえば、「被害者として、(心理的に)被害を乗り越える術(私の場合)」を書いたのであろう。
あるべきは、

・私が経験を克服した経緯を告白することにより、(同性の)被害者たちを救いたい。

だろう。

読者は、そして、私のように、「本の惹句」を知っただけで、納得する多くの一般人のためには・・・。


引用サイトの小見出しには、次のようにある。

【「それはあなたが強いから」に対して】

「レイプは魂の殺人なんだ。だから一生、苦しむものだ」と洗脳するような、脅迫的な接し方では、被害者を救うことはできません。
魂の殺人だと思っていいし、私もそう思い込んで消えてしまいたかった時期もあります。でも、それは社会の通念や価値観をそのまま受け入れていたからでもあるし、そのときに理解してくれる人が現れなかったからでもあるんです。
その後の人生を通して、処女性なんていうものには、何の価値もなかったのだとわかりましたから。そもそも「汚れる」って一体なんなんだろうと。


「日本に北朝鮮の工作人が溢れている。彼らが蜂起したら、危うい」と発言した彼女はリアリストだろう。

「あなたは強いから」と言われるのは心外であると、彼女。

だが実際は、

・人並みはずれた魅力的な容姿。

・東京大学卒業、法学博士の学歴。

・父親が心理学者という家柄。

・一時の母。投資ファンド代表の夫(東大卒)。

トランプなら「スペードのエース」と言ってよい程、強いカード。

父親の専門の心理学的に考察するなら、「このような強すぎるカード」とのバランスを取るために「性的被害者の経験」と「死産」の経験を明かしたに違いない。

東京大学在学中は「ひとりぼっち」だったそうだが、今回の告白も、似たような状況にいる自分を鑑みてのことに違いない。
彼女が「学究肌」なら、「ぼっち」を気にすることなどありえない。

彼女は、強いのではない。−−−−彼女の4枚のエースのカードに匹敵するほどの「精神的な被害」を彼女は受けている。

そのことを私たちの社会は勘づかなければならぬ。


著書の結論は、「起きたこと」と「自分の過失・責任」を分けて考えること。そして、「被害者である自分には、いっさいの責任・過失がない」と達観すること。
彼女は、夫の説諭によって、ようやくその境地に達した。
つか、「愛する人」ができて、その欲求にしたがう形で「性行為」に及んだのだろうが、その行為に及ぶための「論理武装」を思うと、涙が出る。

つか、「論理」を捨てることで、恋愛生活が始まったにちがいない。


spontaが「何を言いたいか」といえば、義侠心(困っている人を助ける)からの発言ではない。

彼女の発言が、同じ被害者を救う・助けるとしても、彼女には、彼女の都合があった。

彼女の人生最大の痛恨事を解放することによって、社会的に傷ついたが、精神的には解放された。
だが、ここにおいても、「誤解は広がっていく」に違いない。

私は、ポストモダンの立場から、その誤解を解いていきたい。



この指摘は、「本人にはできぬ」。だから、spontaは、彼女のために、この記事を書いている。

上記が、

著者本人には書けぬ解題であり、要約すると以下になる。



・性的な暴行を受けることは、「魂の殺人」を受けることではない。

→→ レイプを告発する風潮(me too)があるが、それは、性的暴行が女性にとって「致命的である」と宣伝しているという側面を持つ。
著者は、そのような態度とは無縁である。


・性的な被害について、書いた本ではない。

→→ 14歳の時に、親にも伝えず、警察にも、産婦人科にも行かなかったことを後悔して、書いたのではない。

→→ この本は、「性的な被害」から立ち直るために書いたのである。


・「それはあなたが強いから」といわれるのは心外。

→→ 社会的な名声が高まるにつれて、彼女の精神が悲鳴をあげた。その結果が、本著作であろう。





ポストモダンの立場とは、「脱近代主観主義」の立場である。三浦譲を苦しめた「純潔主義」は、日本民族古来の思想ではなく、「戦争に行った兵隊さんたち」のために、つか、徴兵制度をすすめるために、細君が間男しないようにと、体制が仕組んだ思想・風潮に過ぎない。

エッセイストの山本夏彦氏は、江戸時代のお金持ちの女性の習俗として、

・すなちんこ
・おしろいちんこ
・せんすちんこ

があったと紹介する。
これは、かつて、力士・歌舞伎役者・落語家が、男娼をかねていたことを表現している。

私たち・日本人は、西洋思想に洗脳されているのであって、本来の日本人は、もっと大らかだった。
令和に引用された万葉集にも、つくばね祭り(年に一度の乱交パーティー)に夫婦して参加する様子が記されているのだから・・・。




(続く)
posted by sponta at 06:29| 東京 ☀| Comment(0) | 公開メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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