2019年06月03日

「一人で死ね」はNGワードなのか。

発言をしたNGOほっとプラスの藤田氏は、「自殺を勧める」から、言ってはいけない。
と。

イヤハヤ、こういう原理主義というか、「人の生命は地球よりも重い」などという抽象論を信じてやまない輩がいるから、困る。


彼が言っているのは、「死んでしまった人」よりも、「生きている人」の方が大切ということだろう。

だが、「何のために死に」、「何のために生きるか」の方が重要。

つまり、「生きていること」よりも、「生きていくこと」の方が大切である。


理屈っぽく言うと、

藤田氏は、

・自殺と他殺の凶悪性の度合い

を理解していない。

黒澤明映画の中のセリフでいえば、

・首を取られようとしているのに、髭を気にしてどうする。

と同じ。

年間の自殺者の数(数千?数万?)と他殺者(数十?)の数。

その数の違いが、凶悪度の違いである。



最大の弔意は、「何も語らないこと」である。

死者の出たこと・事件をキッカケに、持論を開陳することは、弔意ではない。

この意味で、事件発生直後に、このコメントを発表したNGOほっとプラスの藤田氏は「クソ」である。

つか、「ひきこもり」を冠した団体の彼。


犯人は、「自分はひきこもりではない」と激怒したことが、犯行に至った動機だと報じられている。ならば、藤田氏こそ「元凶」である。

シンナー中毒が社会問題になり、店舗から「シンナー」が消えて、「うすめ液」になった。
そういうことが、今回も必要なのかもしれぬ。

「無職・友達いない・家族に依存している」。ノーワーク・ノーフレンド・パラサイト。な感じ?

否、すでに、ウェブでは言い換えが誕生している。

それは、「子供部屋おじさん」。


日常的に、現場近くのコンビニを見下ろす陸橋の上を自転車で通る。

事件二日後の朝。

青いシートがかかった建築工事中のビルの前には、花束が祭壇のように山になっていた。

すると、一人の男性が、その様子を撮影している。

「そのようなことはしまい」とspontaは心に誓う。

たとえ鎮魂のためであっても、現場を訪れることはしない。

弔意は心の中にあればよい・・・。


posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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