2019年05月19日

「競覇的」とは・・・。



知らない言葉に出会うのはうれしい。

ここ数年でいえば、以下。

・忖度。

・・・言わずと知れた「(相手が何も言わなくても)相手の思いを察すること」である。さすが、安倍晋三氏を冠した小学校を創設しようとした国士。日本人の本質を捉えた語彙を備えていた。


・(用意と)卒意。

・・・これは、娘の大学のゼミの教授が教えてくれた単語。本番に向けて準備するだけではダメ。本番では、「準備してきたこと(用意)」に囚われずに行動しなければ。それが「卒意」。
歴代のサッカーの日本代表監督。用意はできていたが、卒意がダメだった人ばかり・・・。


今回、文化人類学の講義で知ったのが、「競覇的」なる単語。画面には、イースター島のモアイ像が映し出されていた。

競覇的とは、「命を取り合う戦争」ではなく、「命を取り合わない戦争」で代理行為をすること。

イースター島のモアイ像は、その存在を争う・競うことによって、戦争を回避したと、文化人類学では推察するのだとか。


そう思うと、現代のオリンピック大会やサッカー・ワールドカップも、競覇的なイベントであると思えてくる。

そして、戦国時代の茶の湯。
その始まりは「闘茶」だったというが、それも競覇的な価値があったに違いない。

つか、戦功を得た家臣に「茶道具を与える」のも、競覇的な価値の延長線上での出来事に違いない。
ただし、茶の湯の世界は、禅味があるので、この世界の「存在論」まで繋がっている。まぎれもない「芸術」である。



追記:

競覇的で検索すると、ポトラッチ、贈与論が出てくるが、贈与によって覇権を争うばかりではないだろう。

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