2019年04月22日

TBS「わたし、定時で帰ります」の第一回を観た。


娘の評は、NTVのドラマみたい。

spontaもそう思う。

感想を一言でいえば、「糞」である。

視聴者が「主観批評」するだけでは、ドラマはおもしろくならない。
「形式批評(評価基準を明確にした評価)」によって、客観的な評価をくださなければ・・・。

詳しく知りたければ、spontaの記事。「映画・ドラマの評価基準」を。



・現実のミメーシス(模倣・再現)。

・過去作品のミメーシス(インパクトをさらに強化した模倣・再現)

というのが、私の評価基準。

上記に従って、記すなら、以下。

*

× 説明セリフの嵐。

・・・現実に起きていることを、当事者が客観的に、総括的に語ることはない。当事者というのは、現実の利害関係に縛られていて、自己を客観的に把握することはない。もし、客観的に把握できているなら、現実への踏み込みが足りぬ「情熱を持たない」キャラクターであり、観客にとって「魅力がない」。
叙事的な作品(第三者による記述)であって、抒情的(演劇的な主観描写)ではない。

× 環境・状況の説明・設定ばかり。ドラマの本質は、「人物関係の対立(アンタゴニスト)・反射」である。

・・・しかし、このドラマで描かれているのは、「働き方改革」の施行を捕えた「仕事人間 vs. 生活重視派」の対照である。つか、「対照であって、対立ではない」てなところが、TBS福沢演出作品と、大きく異なるところ。
シシドカフカ演じる仕事人間とヒロイン・吉高の働き方は「対照的」だが、「対立」しない。カフカがミスをして寝込むと、吉高は見舞いに行く。そんなシーンが設定されている。


結局のところ、偏差値の高い大学を卒業した人たちが、企画・制作の主導権を握り、シナリオを勉強した人たちが冷遇されているから、こんな作品ができあがる。

もっとも、シナリオを専門に勉強したからといっても、モダニズムの芸術観に洗脳された講師に習っていたなら、結果は同じ。ダメダメな作品になる。

わが師・首藤剛志は、「良い作品をたくさん観れば、いいシナリオを書けるようになる」と連呼していた。
それは「間違っていない」にしても、spontaに言わせれば「神秘主義」。

・(正しく)ミメーシス(模倣再現)するために、「何を残し、何を削るか」を顕在化しなければならぬ。

・「何度も観る」は、「ベテランなら有効」だが、「何も分かっていない新人には、非効率」である。


初回のオンエアを観た視聴者の感想は、自分の職場での現状や過去の出来事がフラッシュバックされるので、「辛くて、見続けられない」である。

*

そうした感想の原因は、

・現実を模倣再現している。

だけであって、

・現実を克服しようとする「キャラクターの意志・情熱」が欠如している。

から。

説明的に状況を再現しているだけで、それを「克服しよう」という情熱が欠落しているから、「爽快感のないドラマ」になっている。


「芸術作品は、クリエイターのオリジナルな創作物でなければならぬ」というモダニズムの芸術観によって、「過去の作品に学ぶ・真似ぶ」ことを許されないと、盲信しているドラマ制作陣によって、このような視聴者に「痛みを与えるだけ」のドラマを誕生させるのである。


posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | ドラマ・映画・演技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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