2019年04月25日

娘とspontaの現在の関係


川越高校在学中に在任していた萩原校長は、

・教える側と、教わる側は平等ではない

と、入学直後の朝礼で話されたのを、印象的に覚えている。

学生運動の余波が県立高校にも飛び火し、制服を着ることは義務ではなくなった。

校長は、生徒のための「個人用のロッカー」を導入する労をとった。


さて、親と子は、養う側と養われる側であり、教える側と教わる側である。
つまりは、当然のごとく、「平等ではない」。

親が子に「フラット」に接しようと心がけても、構造的に「平等ではない」。

*

発達心理学では、成長の一時期に「反抗期」があるといわれる。だが、これは、一時期に・・・、必ず・・・、ではない。

親が「言語力・立場・腕力」にものを言わせて、子の意見・感情を無視しているなら、親の「言語力・立場・腕力」を子が上回る時期に、子は「勝てるかもしれぬ」と反抗するに過ぎない。

spontaは、「親の立場」をかさにきて、子に「無理強いする」のが嫌いだから、娘には、いわゆる反抗期はなかったと記憶する。

*

だが、本質的に、「親と子」は、「フラットな関係」ではないから、娘の深層心理は「フラットな人間関係ではなかったこと」に対するストレスが沈殿しているはず。

ということで、「反抗期」という程ではないにしても、「ぶっきらぼう」だったり、「しかと」されたりすることがある。


spontaとしては、芸術や音楽について、ひとかどひならぬ知識や経験を与えてきたが、それがキャリアに結びつかなかったので、オーバースペックにしてしまった・・・・。という反省がある。

高橋英樹や、元チェッカーズのフミヤならできたことが、私にはできなかった・・・。娘には、申し訳なかったと思っている。

そんなこんなで、父と娘との関係を「フラット・平等」にするために、最近の私は、少し、へりくだって娘と接するようにしている。

口が臭いと言われれば、すぐに歯を磨き、湯船につかった後は、風呂掃除をかかさない。


札束を振りまいて、娘を牛耳ることのできぬ、ふがいない父親の所作である。
(;´・ω・)



posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタと娘…。(子育て論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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