2019年04月23日

形式批評とは何か。「現代文の科学的研究」(松本成二著)から・・・。(その1)


・すべての芸術的所産は科学と同様に真実なる、独自の真理を有する。(R.G.モールトン)

我が恩師・高校の吹奏楽部の顧問教師・現代国語担当の松本成二先生の著作「現代文の科学的研究」の第一章は、必ずお読みいただきたい序文と題され、その冒頭を飾るのが、ケンブリッジ出身で、シカゴ大学で文学理論を展開した文芸評論家の言葉である。

松本先生は「現代国語」の高校教師である。先生が直面したのは、「現代文」という主観の世界と、「大学入試問題・正解」という客観が求められる世界の桎梏(しっこく・檻の意味)である。

先生は筑波大学の前身・東京教育大学の出身であり、わが母校を勤め上げた後、東大合格者を輩出する上位校として知られる県立浦和高校に転出され、読売新聞の共通一次試験の解説を担当したことで知られている。
松本先生は、序文の中で、モールトンの「文学の近代的研究」の一読を薦めている。そして、彼の「すべての芸術は科学である」との言葉を紹介する。

そして、国語の授業がとりとめもない曖昧な学問と諦観しつつ、近代批評学、記号論、意味論、構文法などの最新の学問を引用しながら、「大学受験問題」に切り込んでいくと宣言する。

spontaに言わせれば、「とりとめもない曖昧」とは、「主観に起因するもの」であり、それを排除するなら「ポストモダン(客観論)の立場」となる。だが、先生は「モダン(主観論)な立場」に位置する。

*


先生は記す。

「<国語>の授業がともすると、語句の意味や文法などを教えたあとは、適当にとりとめない感想と雑談の時間であることが多いのですが、戦後、その分野の長足の進歩を、いち早く教科書に取り込んだ理数科と同じく<国語>の授業にも、周辺諸科学の最近のすばらしい成果を取り入れた徹底した科学的な方法があるはず」

*

spontaは思う。

まず、芸術とは何か。科学とは何か。を定義しなければ何も始まらない。
手垢まみれになっている語。

芸術。科学。
それらを明確に定義しなければ、その後の論理も曖昧なままである。

*
スポンタによる定義は以下。

芸術 : 現実の本質を表現するもの。

科学 : 宗教(中世のキリスト教)にとって代わった近代の思考方法。神秘や超越は排除される。


松本先生は

・すべての芸術的所産は科学と同様に真実なる、独自の真理を有する。(R.G.モールトン)

との語に価値を求めたが、浅薄である。

spontaとすれば、

・この世界の真実を表現するものだけが、芸術的所産である。

・真実を表現するという意味において、科学的な真理と芸術作品は等価である。

語句の定義を曖昧にした破断的な警句は無益といえる。

科学・科学的なる語の定義は、高校時代からなんとなく察知できていたが、芸術の定義については、三十代になってようやく確信することができた。

門外漢なら、アートとデザインの違いを明確に分別することは不可能である。
たとえば、マルセル・デュシャン(便器の作品)、アンディー・ウォーホール(スープ缶のポスター)、ジョン・ケイジ(無音の音楽)。彼らを芸術家と呼ぶか呼ばぬかには、深淵な芸術観が必要である。 


先生は、「伊藤整の詩を読んで、君の思ったことを、感じたことを答えなさい」という東京大学入試の設問に対して、モールトンの理論を紹介している。

モールトン曰く、「批評には4通りしかない」。

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