2019年04月20日

親に騙されたままのspontaの人生。


仕事で一緒になった人があり、車の移動時間に、お互いの自己紹介などをする。
そんな日々が数日続くと、打ち解けてきて、お互いの幼少期を明かしあう。

同僚氏は、幼い頃に両親が離婚し、母親と同居していたが、小学3年の時に、母親が恋人を連れてくる。
その男性により虐待を受ける。

孫の様子を心配した祖母は、彼を引き取り、以来、彼は母と離れて暮らすようになった。彼が小学5年の頃の話。


詳しくは書かぬが、シナリオライターが書きそうなありがちな波乱万丈な設定。だが、まぎれもない事実。

一方の私。

厄年の時に母からファックスが来て、「お前に行ったDVのことがフラッシュバックするから・・・」と、絶縁を申しわたされる。

親孝行な私は、以来、両親と会っていない。

そして、先日、父親がすでに亡くなっていたことを確信する。

あなたって、幼い頃から精神を鍛えられましたねぇ・・・。

一方の私って、うっかりもの。

・・・なんて話をした。


私は、母の恩を歌にした「母さんは夜なべして、手袋・・・」の歌が嫌いである。

わが母の趣味は編み物だったが、それは彼女のストレス発散のため。目数を数えなければならぬような「編み込み」はやらなかった。

私が「食べ物の好き嫌い」で苦手なものは、母の好物。母が好きだったサヤエンドウ、鶏肉・・・。幼少期に食べさせられ過ぎたからである。

結婚した妻は、母から「自分には好き嫌いがある」と告白・懺悔している。
曰く、海の香りのするものがダメ。青海苔、青身の魚、タコ、シラス・・・。
寿司の出前を注文するとき、「ひかりものとタコを抜いてください」と言っていたが、それは「出身地と東京の文化の違い」と説明していた。
幼き日、そして、成長してからも・・・。

私は、嘘をつかれていたことを、母に責める機会はなかった。

私が騙されていたことを知ったのは、断絶のファックスを受け取った後。したがって、私は騙されたまま、現在に至る。


変な両親に育てられたから、私も「変な人」。そんなことを移動中の車内で話す。

だが、次のことは話さなかった。

*

両親と別々に暮らすようになって、住んでいた団地の押入れから、母の高校の卒業アルバムが出てきた。

母が卒業したのは金沢市で一番の高校。戦後のどさくさで入学できたと、本人は謙遜するが、どんな時代であっても、一番は一番である。
集合写真に写っている母の写真の顔には、「消しゴムでこすった跡」があった。

高校時代の母は、「顔」にコンプレックスがあり、自分の顔を消してしまいたかったのだろう。それでいて、卒業アルバムを結婚した後も捨てずにいる。そんな、母親の「自己肯定感」の低さに、私は慄然とする。

その自己肯定感の低さは、子育てにどんな影響を与えたのか・・・。

それこそが、私がDVを受けた理由である。

*

一方の父はネグレクト(育児放棄)。「うちは放任主義」と高らかに宣言していたが、「放任」とは、子育て放棄の別名である。


私が成人する頃になって、山本五十六の次の言葉が社会的に知られるようになる。

・やって見せて、教えてやって、させてみて、褒めてやらねば、人は育たず。

誰かは忘れたが、戦前の軍隊の教育においても、そのような真実があったとは、驚いたという感想があったと記憶する。

山本五十六の言葉に関連して、spontaがされた子育てを振り返ると、以下。

・自分(父)がこれだけできる。と自慢するばかり。

父の趣味は油絵だったが、何も教えられずに描かされて、この程度にしかできぬのかと、見下された記憶がある。
私だったら、次のように解説する・教える。

・絵画の要諦は、「遠近感」を出すこと。
・「遠近感」には、「線遠近法(一点消失」と「空気遠近法(色の鮮やかさの表現)」がある。

父は、油絵具には、「チタンホワイトとジンクホワイトがある」なんて知識をひけらかすも、詳細を語らない。「そんなことも知らぬのか」という調子。

クーラーボックスに書いてあった英語の綴り(leisure)を読めぬと私を嘲笑したり、出雲を読めぬと馬鹿にされたこともある。

思えば、父には「教える」という態度は皆無であり、子に対して「自らの優位性を誇示する」。そんなことばかりであった。
姉とも断絶しているから、事実を確認する術はないが、息子である私は「同性」だったからかもしれぬ。


例外は、高校受験の準備。

姉と私はひとつ違いの年子。
前年、姉のために、数学を教えたので、翌年も、私は、父から数学を教えてもらうことになった。
しかして、姉は埼玉県西部地域の偏差値トップ校である県立川越女子高校に進学し、私は県立川越高校に進学した。

今、人生を振り返ってみると、それがよかったのか、悪かったのか・・・。

私のその後の人生の経緯を振り返ると、「二階にあげて、はしごを外された」。それが私の人生の感慨である。



追記:

父親の家庭像は歪んでいたとspontaは認識している。

父は、義兄のことを「姉を囲って・・・」という形容をしていた。父が考えた「家庭」とは、妾宅。つまりは、女を囲う感じ。

妾宅の「ままごと家族」に、女の子は、女の類型として必要・重要だが、男の子は不要。

女の子は大切に育て、男の子は野放しにするのがよろしい。などと、父の教育方針を理解していたspontaだが、それは間違い。
最初から、男の子は邪魔だった。

---姉が2年制の私立幼稚園に通わせてもらったのに、私は、ギリギリになって、保育園に通うことになる。そんな仕打ちを受けた時点で気づくべきだったのに、迂闊なspontaは40余歳まで、気が付かなかったのである。
(;´・ω・)


posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタと娘…。(子育て論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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