2019年04月15日

「安らぎの刻。〜道〜」の第一印象は、サイテー。


テレビ朝日の昼帯ドラマ「安らぎの里」が好評だったので、第二弾。つか、続編が、今秋からオンエアされている。

ひとことで言えば、サイテー・最悪である。


結局のところ、自身の過去にボツになった作品の経緯をシナリオ化して披露して、自らの正当性を印象付ける。

そんな、卑劣な脚本家の感情・意図が、視聴者に素直に伝わってくる。


脚本家の大御所だった新藤兼人氏は、「シナリオは三部制」とシナリオの本質を説いている。

だが、早回し視聴が可能な現在、「第三部を見なければ、第一部に価値がない」などというシナリオは、「時代遅れ」。
小説でも、ドラマでも、映画でも、「最後まで、鑑賞しない」で、批判を言うべきではないという規範があったのかもしれぬ。
だが、「腐ったリンゴ」を最後まで食する義務・必要はない。


老優となった、加賀まりこ・浅丘ルリ子が、視聴者を生まぬ。さらに、「満蒙抑留生活での、悲惨な体験」は暗いから没。

視聴率を取れる若手女優を主役にした明るい話。この場合は、李香蘭の人生を扱った作品に、石坂浩二演じる主人公のシナリオライターは企画を奪われた。


何度も指摘してきたが、ドラマとは、「対立」であって、過去のできごとを「記述」するだけでは「説明」であって、ドラマにならない。

向田邦子のドラマは、「対立」の要素は薄かったが、心理的な「立場の違い」は明確に描写されていた。
だが、今回の倉本作品は、「立場の違い」はあるにしても、「自分を投影した主人公」が「正しい」とばかりに作劇されている。

円熟期に入った巨匠が、自らを肯定するために作品を紡ぐとは・・・。

それをして、恥じない巨匠。


前作の好評を得て、今回も視聴率が上がったりすると、巨匠本人は勿論、世の中も勘違いする。

困ったものである。




posted by sponta at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | ドラマ・映画・演技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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