2019年03月15日

ロンブー・田村淳氏の「勘違い」。



『受験』
1年経った今でも言われる…社会人が未来ある若者の大切なひと枠を奪うな!と…でもその意見はおかしいと思うんだよね…社会人でも現役生でも、大学に行く目的があっても無くても、全ての人に門戸は開かれてるはずなので…学びたい人は、学びたい時に遠慮なく学べば良いと思う。

(彼のツイッター 3/14より)



*

まず、受験と「学びたい」は関係がない。

田村さんは、「高校の勉強をしたい」のだろうか・・・。

もし、そうなら、「その成果を吟味する」ために、大学受験をすればいい。


「学びたい人は、学びたい時に、遠慮なく学べばよい」との田村さんの意見。これは、間違っていない。

ただし、「大学生というステータス(資格)」は必要ない。

古い言い方でいえば「天ぷら学生」構わない。この場合の天ぷらとは、「衣だけ」。つまりは学生服を着ているだけで、学籍を持たないという意味。

ジャズミュージシャンの菊池成孔氏が、東京大学でジャズの講義をした時、受講生の半数ほどが東大生ではなかったと記憶する。講義の内容は「東京大学のアルバートアイラー」という本になっている。

たとえばさかなクン。
東京海洋大学の名誉博士であり、東京海洋大学客員准教授だが、Wikipediaを見る限り、大学生の経歴はない。
高校3年でテレビチャンピオンで頭角をなし、専門学校を卒業したという記述のみ。
「学びたい」というのと、「学歴が欲しい」というのは、別。

さかなクンは「学びたい」から学んだ。

つまりは、「学ぶ」ための資格を得るという発想がない。

田村さんは、「学びたい」と自らを誇るが、何を学びたいのか?
高校の授業の内容を学びたい(復習したい)のなら、大学受験に挑戦するのも悪くない。


「学びたい人は、遠慮なく自由に学べばよい」のなら、大学受験など気にしなければよい。

「若い人たちの機会を奪うことになる」というのは、そういう感情を含んだ意見。


何故、青山学院大学に挑戦したのか。その理由は・・・?

そして、慶応義塾の通信の法学部で、何を学びたいのか・・・。

というか、すでに、スケジュールがとれないとの言い訳で、休学状態とか。

彼は、学歴コンプレックスを解消したいだけであって、の可能性が高い。

spontaにも、学歴コンプレックスはあるが、それを隠さないことが誠実である。
学びたいから学ぶというような婉曲表現は、どうしたものか・・・。


つか、情報が溢れている現代社会において、「大学の授業」に価値・魅力があると考えているのが、そもそもの間違い。

講師たちの大部分は、アカデミーポストの勝利者に過ぎず、アカデミズムの桎梏に縛られていて、自由に思索ができぬ身分である。



posted by sponta at 13:57| 東京 ☀| Comment(1) | 公開メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
TWITTERの記事にコメントしてみました。
Posted by spt at 2019年03月15日 14:04
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