2019年01月22日

詩的とは何か。鑑賞とは何か。

 
何度か書いていることかもしれぬ。

詩的 vs. 説明的

である。
とすれば、「そのまんまを言わないこと」が、詩的となる。
だが、spontaとしては、

・「分かっているのに、言わない」のは、意地悪。



最近の研究では、「結末を知って、小説を読む」のも、「知らないで、小説を読む」のも、「感動に差はない」。

逆に、2読3読しないのなら、「結末を知って、読む」ほうが物語の理解度は高い。つまりは、より深く、作品を味わうことができる。


韓流ドラマを見ることを専らにしているspontaだが、ウェブで最終話までのあらすじを見てしまうことが度々ある。

その動機は、「結末を知りたくって」の一言なのだが、結末を知ったことによって、「作品への興味が減じること」はない。

逆にいえば、「細かい伏線」も見失うことがない。

新曲の鑑賞ではなく、スタンダードナンバーの鑑賞。

スタンダードナンバーの方が、理解度が高いのは当然。

歌舞伎は、ほとんどが江戸時代からの定番演目。


だが、「読解」にまつわる神秘主義は、世の中に横溢していて、

・あらすじは、公開されない。

・「読んだ・読んでいない」が重要しされ、「読解されたもの」の価値が軽んじられている。

悲しき現実。


エリート学生の多くは「丸暗記」ばかりで、「読解力」に劣ると嘆いた大学教員がいたと記憶する。
あるべきは、

・資料捜索力。

・読解力。(意味抽出)

・総合力。(対照評価)

・統合力。(対照評価による意味抽出)

な、感じかなぁ〜〜。


posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 芸術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0