2018年11月21日

プロフェッショナル・海老蔵さま


NHKの番組「プロフェッショナル」で、

市川海老蔵氏は、

・歌舞伎は、芸術でなくてもよい。

・日本人の根本のDNAを伝統化してきたのが歌舞伎役者。

・今の時代にあったものをお客さんに提供するのがプロフェッショナル。

・私は歌舞伎において、心(感動・よろこび・悲しみ)を提供してきた。

と発言していた。


彼は、アンチの発言の中に「(正しい)欠点の指摘」が含まれると指摘していたから、自分の「思い違い」をタダしたいと、記述する。

勿論、泡沫ブログである「sponta通信」を歌舞伎界トップの彼が閲覧することは、絶望的であることは承知の上で・・・。

以下は、公開メール。


海老蔵さま。




日本の芸術の本質は「無常・はかなさ」を表現すること。平家物語でいえば、「諸行無常」です。

したがって、海老蔵さんが考えている「娯楽 vs. 芸術」という対立軸はありません。


海老蔵さんは、歌舞伎において、「心(感動・よろこび・悲しみ)」を表現することこそ重要であり、それを観客に伝えることこそ第一と考えていらっしゃる由。

しかし、「心を伝えること(娯楽)」と「無常を表現すること(芸術)」は、二者択一ではありません。「心を伝えた」上で、「無常を表現する」ことは可能なのです。


海老蔵さんは「今の時代に合った歌舞伎」を模索していて、それは「お客様を楽しませる」ことと確信していらっしゃる。

では、今の(日本の)お客様の嗜好は何か−−−。

それは、韓流ドラマやハリウッド映画・アメリカドラマなど「(人間関係の対立の強い)愛憎劇」を求める傾向かもしれません。

一方、(海老蔵さんがDNAという言葉で表現した)日本人の伝統的に芸術に求めてきたものは、「無常・運命・宿命」の表現。

西洋ドラマの原型となっているギリシア神話のような「親子・兄弟の愛憎劇」ではない。

平家物語で描かれるのは、「平氏 vs.源氏(対立・アンコダニスト)」ではありません。「栄華を誇った平氏一族の没落(無常)」です。


最近・勧進帳のパリ公演のドキュメンタリーをNHKの再放送で観ました。

番組の最後に、父・団十郎氏と息子・海老蔵氏の「ロッポウを踏んで花道を去る直前の芝居」が対比的に紹介されていました。

父・団十郎氏の演技は、「今回は、なんとか成功したが、次はどうなるか分からない」という「運命の過酷さ」を表現していました。

一方、息子・海老蔵氏の演技は、「まんまと、してやったり」という自信満々の演技。そこには「運命の過酷さ」が表現されていません。

ドラマに「強い刺激を求める」なら、父・団十郎さんの演技は「物足りない」。海老蔵さんの演技こそ素晴らしい。

しかし、ドラマに「無常の表現」を求めるなら、海老蔵さんの演技は「まるっきりダメ・どうしようもない」となってしまう。

実際のところ、日本人は、ハリウッドや韓国のドラマに慣れ親しんでいるので、「無常の表現」を求めるという伝統的な日本人の嗜好は衰退している。したがって、海老蔵さんの演技を批判する人は少ないのかもしれぬ。

とはいえ、「不易流行(時とともに変わってよいもの・変わるべきものと、時を経てもけっして変わってはいけないもの。そういう二つがある)」からいえば、

・してやったり

の表現の後に、

・過酷な運命を遙かに思いやる

を表現する演技をするべき。



spontaとしては、

「今の時代に合った歌舞伎を追求する」海老蔵氏を評価しつつも、

父・団十郎の演技を息子・海老蔵が継承すべきと考えるのです。


posted by sponta at 00:00| 東京 🌁| Comment(0) | 公開メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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