2018年06月21日

ワールドカップの「ごみ拾い」と「もったいない」は同根。


日本人の根っこにあるのは、「多神教」「汎神論」である。

すべての物に「神が宿る」。だから、「物を粗末にしてはいけない」。→「もったいない」。

すべての場所に「神が存在する」。だから、「汚したままではいけない」。→「ごみ拾い」。

となる。


サッカーの試合の勝敗は、「実力 + 偶然」から出来ていて、「偶然」には「運」。

つまりは、「超越的存在・神」が関与する。

だから、日本代表のサポーターたちの「ごみ拾い」は無くならない。

岡田監督は、「試合の仔細から、神の啓示(運命)を読み解くこと」に、神経を使っていた。

試合前の監督室で、座禅を組み、瞑想したが、そこで得た「勝敗の結果」が外れたのは、南アフリカ戦の決勝トーナメントの第一戦。
駒野選手が、PK合戦で外した時のみだという。


残念なことは、このような「日本人の本質」「自然観」「存在感」を意識する人がいないこと。

これらは「縄文文化」であって、農業で自然を搾取してきた「弥生文化」とは異なる。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0