2018年06月22日

二世政治家は「悪」なのか。


生まれながらにして、「看板(知名度)・鞄(資産)・地盤(地元の支持)」を持つのが二世政治家。

それが「ずるい」。というのが、二世政治家批判だろう。

だが、「パーソナル形成論」的に言うと、悪いことではない。

「門前の小僧、習わぬ経を読む」の諺もあり、幼い頃から、政治を身近かに感じていることは、英才教育ともいえる。とはいえ、そのことが、「政治家」ではなく、「政治屋」という批判にもつながるのかもしれぬ。


私の「生成承認フレーム」「生成自己肯定感フレーム」理論から言うと、

1、(幼少期)両親が、言葉や生活で、「政治家とは何か」を〈刷り込む〉。

2-normal pattern

・成長した本人が「(幼少期に)刷り込まれた理想・行動規範」の妥当性を吟味し、
・「刷り込まれた理想・行動規範」を「主体化(自分のものに)」する。

2-non-normal pattern

・成長した本人が「(幼少期に)刷り込まれた理想・行動規範」と現実を対照し、
・「自分の頭で考えた結果」、
・妥当性を感じず、反発すれば、
・「刷り込まれた理想・行動規範」の〈対象概念〉を実行する。

・・または、「空虚化」する。


歴史学者は「中世には、こどもはいなかった」と断ずる。

その理由は、「小さな王様や、小さな職人、小さな農民」がいたのであって、「(将来、何になるか分からない)こども」はいなかった。


近代の本質は「世界征服のための思想操作」だと私は確信しているが、「(将来、何になるか分からない)こども」が成長して、大人になった社会は、「幼い頃から、何になるかを規定されているこども」たちが成長して、大人になった社会よりも、「脆弱」であることは間違いない。


江戸時代の日本は、そのような社会であり、「身分相応」の社会だった。

それを「平等」という虚構の概念で否定したのが、「近代」。

最近の歴史研究では、江戸時代に「士農工商」という概念はなかったのだとか。

つまりは、階級社会によって、日本社会を分裂させようという、西欧の洗脳の結果、「士農工商」という階級の概念が、明治期に登場したのであろう。

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