2018年05月30日

「いじめ」対策で取り組まれない「受け手の感受性の〈鈍化〉」。



「いじめ」撲滅に、教育界のみならず、行政、マスコミが取り組んでいるが、まったくもって、説得力のない施策ばかりで、信じられない。


まず、やるべきことは、




「いじめ」の実際を、


・「(加害者が)実際に行ったこと(行為 + 言葉)」と


・「(被害者の)精神的な被害(受け取ったもの)(肉体的被害 + 精神的被害)」を


切り分けること。




この分析は、フランス現代思想の〈表象〉理論に同じである。





〈表象〉とは以下。


モダニズムの文芸批評では、「思索批評」が最上とされた。つまり、「鑑賞者の主観」こそ素晴らしい。と。


だが、「鑑賞者の主観」は「作品」には関係ない。


作品は、「作品に書かれていること」で評価すべき。それが〈表象〉の方法論。










「いじめ」に関しても、



・「(加害側の)行為」と


・「(被害側が受けた)ダメージ」を


分離して、分析を行うべきである。





この分離・分析から導き出されるのは、「いじめの解決策」は「ふたつある」こと。


つまり、


・「加害者のいじめ行為」を無くす。


・「被害者のダメージ」を無くす。(受け手の感受性の〈鈍化〉を図る)




現状で取り組まれているのは、「加害者のいじめ行為」を無くすことだけ。


「被害者のダメージ」を無くすための、被害者側のトレーニングは、まったくの「手つかず」。


−−−私は、それを告発したい。




かつて、「戸塚ヨットスクール」という「ひきこもり・DV」男児の矯正施設があり、死亡事故が起き、社会的な制裁を受けた。


社会的に自律できない極めて「耐性」のない人格に成長した個性を矯正するには、「戸塚ヨットスクール」のような荒療治が必要だった。
だから、問題児を抱えた両親は、藁にもすがる思いで、戸塚校長に従った。




その一方で、「耐性」が少し足りないというようなこどもたちに対しても、穏やかな形で、「耐性」を身につける施策が必要だと思う。







サッカー・野球などの集団競技。
空手・柔道などの個人競技。
音楽のお稽古ごと、オーケストラやバンド活動。


それらはすべて、「耐性」の獲得のために、こどもたちに与えられていると、私は思う。


でなければ、イチローや本田・香川選手など、プロで稼ぐような人でない限り、少年期のスポーツ活動に「意味がない」。





経営コンサルタント・マッキンゼーでは、


「アンカンファタブル・ゾーン(不愉快な場所)にいないと、成長はない」と宣言している。


つまり、「気持ちの良い場所」にいるなら、「現状に安住している」のであって、成長は望めない。




最近はあまり聞かないが、企業が内定者たちに「地獄の特訓」を課していたのを覚えている。


義兄も、「自衛隊の1日訓練」に参加して、迷彩柄のブリーフを記念品として貰ったのを覚えている。


※ 今もって、何故、下着を迷彩柄にしなければならないのか、理解できない。




平成の「こどもたち」に向けて、「耐性を育むため」のメソッドを開発し、なんらかのカリキュラムにして、こどもたちに「実行すべき」である。




この施策は、「天然痘に対する種痘」のようなものであって、予行演習によって、本番に備えるのである。




モダニズムの教育観が根底にある現在。
私の案が実現するのは、絶望的。


東京大学の表象を扱う研究者たちも、片隅に追いやられているのが現状。
モダニズムのアカデミストたちの逆襲に逢っている。(アカデミズムは、誕生当時、すでにソクラテスによって否定されている)


〈表象〉が誕生したのが、1980年代で、ポストモダンの時代に移行した。だが、それが埋没している。


平成とは「埋もれたポストモダンの時代」なのだ。






「感受性の鈍化」。


−−−これは、モダンの時代にあってはならない「禁じられたスローガン」である。

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