2018年05月29日

「人格」は、いかに形成されるか・・・。


娘が中学2年。

英語スピーチコンテストのために、原稿をつくり、英訳をした。目標が「全国大会出場」だったので、父親の私が主導権をとって、作文・英文化した。

監修してもらおうと、公立中学の英語教師に見せると、「親の言いなり」と批判された。

すると娘は、「こどもは親の影響下で育っており、自分の意見などありえない」と反駁した。担任教師に向かって、そのまま意見を述べたとは思わないが、娘は私にそう明言した。


私の指導プロセスとしては、「自由に作文」させて、それを「修正」して、「完成形」に近づけていく。というものだったが、あまりに「時間がかかった」ので、少しすると、私が「完成形」を提示して、その「構造」や「作成プロセス」を教えるというかたちになった。

作業は、ゴールデンウィーク明けから始まり、担任教師に監修を求めたのは9月。5分ほどの英文を作成するのに、4ヶ月ほどかかった。


こどもの「思惟・主観」は、どうやって形成・確立するのだろうか。


私の結論は、

・親による、(承認者)の言葉と日常行動による「刷り込み」。

・子による、「刷り込まれたもの」を「経験と思索」によって修正する。


決定論的にいうと、

・親は、子の「思索のパラダイム(対立軸)」を規定する。

つまり、親が刷り込んだものを「肯定する or 否定する」のが、子の「オリジナリティー」であって、親とは別のパラダイム(世界観)を持つのは難しい。


「近代以前、こどもはいなかった」という。

その意味は、「小さい王様」「小さい農民」「小さい職人」がいるのであって、「将来、何になるか分からない」こどもはいなかった。
そう思うと、

(モダニズムの当然の考えである)成長期になってから、「自分が何になるか」を自分で判断して、決定するようなプロセスでは、よほどの幸運に恵まれぬ限り、成功は覚束ない(「刷り込まれた人たち」に勝てない)。


そのように、私は結論づけている。


その成果の結果である、娘の人生はどうなのか・・・。
社会の現状にそぐわない「刷り込み」をしてしまったのかも知れぬという危惧もあるし、「夢がない」現実を提示してしまったのかもしれぬという悲しみもある。
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