2018年05月27日

演奏時に、「身体を揺らすか」どうか。


「題名のない音楽会」の司会者だった佐渡裕氏は、楽器奏者がプロのオーケストラに入団すると、「身体を揺らさなくなる」と批判的に語ったのを印象深く覚えている。


この背後にあるのは、「プロのオーケストラの楽団員」の〈暗黙知〉として、「クロノス時間とカイロス時間の同時把握」が存在すること。

「身体を揺らす」と、演奏者は「カイロス時間」に支配されてしまい、「クロノス時間」を持つことができない。


※ クロノス時間とは、物理的な時間。(メトロノーム)
※ カイロス時間とは、感覚的な時間。(テンポ・ルバート)


若き日の小澤征爾氏がN響にボイコットされたのも、斉藤秀雄ゆづりのタイム感を無視した指揮が、楽団員から拒絶されたに違いない。−−−楽団員たちは芸術家。生意気や遅刻といった理由で、指揮者を拒否することなどありえない。

小澤征爾氏がサイトウ・キネン・オーケストラを結成するなど神格化した斉藤秀雄だが、この「誤り」を是正しないと、クラッシック音楽で身を立てようと思う若い人たちが「とまどう」・・・。


娘との共同研究だが、〈タイム感〉的な「身体の中心」は、デコルテ(胸元)のあたりにある。

そこで、「クロノス時間」を感じながら、四肢がそれぞれ独立して「カイロス時間」を感覚する。
それが究極の〈奥義〉。

佐渡裕氏の後に、「題名のない音楽会」の司会をつとめた五島龍君には、それができていた。

ドラマー(日野バンドのドラマー・芸大出身)とインドの民族打楽器の奏者が出演した番組では、演奏者よりも、脇で見ていた龍君のほうがグルーヴしていた。



「ふたつの時間感覚を持つ人」は、身体を揺らさない。

つまり、「身体を揺らす人」は、「ふたつの時間感覚」を持っていない。
演奏に併せて「足を踏む」など、それが、つま先であろうと、踵であろうと問題外・噴飯ものである。


【付録: ふたつの時間感覚を持っている人】

・リヒテル(言わずと知れたナンバーワンピアニスト)
・グレン・グールド(独奏なのに、連弾のようにきこえる)
・ヴァレンティーナ・リシッツァ(身体を揺らさない演奏スタイル)
・カール・ベーム(楽団員から愛された指揮者)
・カルロス・クライバー(振らない指揮者)
・世界的なジャズ奏者のほとんど(は、グルーヴしている)
・・マーカス・ミラー
・・チック・コリア
・・ハービー・ハンコック
・・ソニー・エモリー
・長谷川きよし(ギターの弾き語り)
・グレースマーヤ(アカペラでも、グルーヴできる)
・DEPAPEPE(ステージで、メトロノームと共演)
・日本のビッグバンド(ニュー・ハード、シャープ・アンド・フラッツ...etc.)


【付録: クロノス時間感覚を持たない人】

・小澤征爾(斉藤秀雄の弟子)
・佐渡裕(ロマン派な演奏。バーンスタインの弟子)
※ バーンスタインがジャズ(グルーヴ)を理解していないことは、「ウェストサイド物語」で明らか。
・山田和樹(テレビ番組で、インテンポを否定)
・山下洋輔(グルーヴできない)
・カラヤン(楽団に君臨)
・玉置浩二(オーケストラと共演するコンサートを行っていることで明らか)
・スーパーフライ(グルーヴできない)
・日本のジャズ奏者のほとんど。(渡辺貞夫・日野皓正を除く)
・合唱コンクール、吹奏楽団のほとんどすべて。
・・・ほか多数。
posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(12) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
スティーブ・ジョブズ氏の自伝的映画の中で、彼が小澤征爾氏を賛美するシーンがありました。ジョブズ氏は、禅をこよなく愛する方だったそうですが、ジョブズ氏自身の東洋思想や文化への憧憬?あるいはタイム感への無理解が、小澤征爾氏への高評価に繋がったのかな、などと考えてしまいました。
映画の配給会社やスポンサーの商業的都合で作中に小澤氏の名前を用いたのでなければ、本当にファンだったのでしょうけれど。
ちなみに私はタイム感どころか音感ほぼ無し人間なので偉そうな事は言えませんが、中村さんのブログを読んでふとジョブズ氏のコメントを思い出した次第です。

論点の曖昧な書き込みを失礼いたしました。
Posted by at 2018年05月27日 11:55
私のテキストが、逢ったこともないあなたの感性を触発したなんて、とってもうれしいです。

スティーブ・ジョブスって、何だったんでしょうね。アップルが、日本の中小企業の下請け業者にした仕打ち(高価な工作機械を買わせておいて、その後、安値の取引先を見つけて、ダンピングを迫る等)を考えると、彼をカリスマと考えるのも、どうしたものか・・・。

禅は、テキスト(経典)の否定。さらに、会話・意味の否定。
身体から超越を感じる方法なので、頭でっかちの西洋人が好むのでしょう。

どちらにしても、小澤の師匠の斎藤秀雄のWikipediaには、悪口が書いてある。それって、すごいことですよね。弟子たちが添削すればよいのに・・・。

コメントありがとうございました。勇気づけられます。

Posted by sponta at 2018年05月27日 22:55
ウェブから以下を引用します。

------

【「お会いしたときのことをとても懐かしく想い出しました」
―小澤征爾】

実は、NeXT Cubeの発表会場オペラハウスで、ジョブズとアップルの共同創設者ウォズニアックが会話するシーンで、小澤征爾さんのお名前があがっています。

―ジョブズ
「前に小澤征爾に会った
すごい指揮者だ 技巧も表現もね
指揮者とメトロノームの違いを聞くと―
『音楽家は楽器、私はオーケストラを演奏する』と」

―ウォズニアック
「プログラマーでも、エンジニアでも、デザイナーでもない
なのに なぜジョブズは天才と言われる?君は何をした?」

―ジョブズ
「オーケストラの演奏さ
君は音楽家としては一流だ」

−−−−−−−−−−

結局、君臨型の指揮者の小澤に、ジョブスが同化したんでしょうね。

メトロノームとシンクロしながら、エモい演奏をするのがベスト。演奏者に君臨するのは、吹奏楽コンクールや、Nコンの合唱。

至上の音楽は、グルーヴ、バイブレーションなんでしょうが・・・。
Posted by at 2018年05月27日 23:06
有難うございます。
小澤氏もジョブス氏も、「場を仕切るだけで自らは何も創り出していない方々」のような気がしてきました。
なんだかスッキリしました。
Posted by at 2018年05月28日 01:07
こんなに難解で、コアな議論に付き合っている人がいるなんて、驚きとともに、うれしいです。
!(^^)!

かつて、タングルウッド音楽祭だと思いますが、ジャズ・トランぺッターでジャズ啓蒙家でもあるウィントン・マルサリスが、ビッグバンドに演奏をさせながら、「ジャズには、コール&レスポンスがある」と、小澤征爾氏がいる舞台でジャズを解説したことを覚えています。

裏をかえせば、「クラッシック音楽には、コール&レスポンスがない」ということ。
クラッシックでは、「指揮者に従うしかない」。

私は、楠瀬一途(故人。ご子息が歌手)というオペラ歌手と仕事をしたことがありますが、彼は「指揮を見ないと歌えない」ので、股の間から指揮を見たことがあると、笑って言っていました。しかし、デュエットが「会話」なら、指揮者の棒に合わせるのは不自然。それでは、コール&レスポンスは不可能です。

キンキキッズのツヨシ君は、ファンクミュージックの大ファンですが、ファンクミュージックは、「グルーヴがないと成立しない音楽です」。
一方、小澤氏も佐渡氏も山田和樹氏も、グルーヴを否定している。レナード・バーンスタインもそう。

だが、至上の音楽家は、グルーヴしている。リヒテル、グールド、カール・ベーム。

これでは、クラッシック音楽が低迷していくのは当然です。



>小澤氏もジョブス氏も、「場を仕切るだけで自らは何も創り出していない方々」のような気がしてきました。

否、「交通整理が仕事」なのではなく、演奏者・技術者たちの「自由なふるまいを制限している」んです。

二度の書き込み、とっても嬉しいです。勇気づけられます。
Posted by sponta at 2018年05月29日 07:00
マルサリスと小澤の共演は、DVDになっているようです。

リンクが貼れませんので、検索してみてください。

マルサリス・オン・ミュージック with 小澤征爾 Vol.1 [DVD]
Posted by sponta at 2018年05月29日 07:09
ご無沙汰しています。
ブックマークを整理していて、懐かしくたどり着きました。
お変わりないようでなんかうれしかったです。
Posted by ひげおやじ at 2018年06月12日 13:11
こちらこそ。

このテーマに関しては、Aさんの存在がとっても大きい。仕事帰りの車の中で、月間ピアノのCDをメタクソに言われなかったら、この考察は始まっていない。

別荘のドラム講習があってから、その直後に、日野さんのワークショップ。この順番、絶妙です。

相変わらずブログを書いていますが、何も動かない。そんな私の日常です。


ひさしぶりにコメント。うれしいです。
Posted by sponta at 2018年06月12日 19:17
絶対音感について以前お話したことがありますが、最近知り合いのピアニストの人から聞いたことです。
絶対音感というのは、ある音を聞いた時にそれがどの音程の音か分かる、と一般に理解されています。
しかしそこには暗黙の大前提があって、基準となるAの音が440Hz位であること、音階が平均律であること、です。
現在ではピアノの多くは全世界的に、A=440〜443Hzに調律されています。
その方が数十年前にヨーロッパに留学した時に、ハンブルグの教会にあったオルガン(バッハも弾いたとか)は490Hzとほぼ1音高く、同じく宮廷にあったピアノは半音から1音低かったそうです。
これはどういうことなのでしょうか。
バッハをはじめとする当時の音楽家がいわゆる絶対音感は持っていなかったのか、それとも基準音をシフトさせたうえでの絶対音感を持っていたのか。
ちなみにそのピアニストの方は、かなり正確な絶対音感を持っている人なので、かなり混乱されたそうです。
(たとえハ長調の曲でも、いきなり# b 連発の曲に聞こえてしまったそうです)

そうして考えてみると、私の持っている不完全な絶対音感というものは結構便利なのかなと思ってしまいました。
多少、基準音がずれていてもとりあえずドレミに聞き取れる、いわば相対音感的な絶対音感というようなものです。
これならどんなキーの曲も、# b 2個くらいまででカバーできます。
Any Key対応のできない私ならではなのですかね(笑)。

ところで世の中では絶対音感教育というようなものがあって、そういう能力にあこがれる親が子供に習わせているとか。
たとえ絶対音感を身に着けたとしても、何にどう使うのか、考えてしまいました。
Posted by ひげおやじ at 2018年06月15日 09:46
最近の結論は、相対音感が一番重要ということだと思います。

つか、娘は、そう言い切る。

吹奏楽をやっていたとき、コンクールの時も、442HZでチューニングしていました。
そのほうが、明るく聞こえる。

でも、木琴、鉄琴、ピアノは440HZなんですよね。

千住真理子さんは、コンチェルトの時に、オケに埋もれないように、わざと「音程を低くして演奏する」とか。



最近の考えでは、絶対音感は、「音の言語化」であって、絶対音感があると、微妙な違いを感じられなくなる。

日本人がエルとアールの発音の違いが聞き取れない。絶対音感には、そういう弊害があるそうです。
Posted by sponta at 2018年06月15日 11:40
つか、結論は、タイム感とハーモニー感。

それにつきると思います。
Posted by sponta at 2018年06月15日 12:19
タイム感とは、音出しとは別に、体内メトロノームを持つこと。

ハーモニー感とは、音程ではなく、和声でとらえること。

※ 和音とは「(単音&複数の音)その時の倍音構成」。和声とは、「コード進行」を含む感覚。
Posted by sponta at 2018年06月15日 15:41
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