2018年04月30日

大谷家の教育方針は、「決断は本人に委ねる」。


だという。

以下は、引用。


大谷は1994年、岩手県に生まれた。地元の花巻東高校に入学した15才の頃から8年以上にわたって彼を取材してきたスポーツライターの佐々木亨氏が言う。

「メジャーリーガーになった今でも、大谷選手の考え方や野球に取り組む姿勢は初めて会った15才の頃から変わっていない。純粋に野球が大好きで仕方ない、まっすぐで素直な少年のままです」

大谷の「まっすぐで素直な心」を育んだのは、社会人野球で活躍した父と、バドミントンで国体出場した母だ。

「大谷家の教育方針は、“決断は本人に委ねる”というものでした。

実際、幼稚園から続けていた水泳を小学5年生でやめて、野球一本に絞ったのも本人の決断です。親が口を出さずに子供の考えを尊重することで、大谷選手の“考える力”が養われました」(佐々木亨氏)

※女性セブン2018年5月10・17日号



問題は、「本人の意思」が何によって、形成されるかどうかである。




〈生成承認フレーム〉というオリジナルな概念を作った。それは以下。


【誕生前】
・生まれる前に、アドラーの心理学における〈承認欲求〉のフレーム(入力項目)が存在する。



【誕生後】

・誕生後、〈承認者〉の項目に、(ほとんどの場合は)「両親」が入力される。





【誕生後の両親(承認者)とのコミュニケーション】

・成長にしたがい、〈初期・承認項目〉が入力される。

※ 幼いこどもが、「 生活による)刷り込み: 親の言われた仕事につきたい」
         「(言語による)刷り込み: 親の仕事がしたい」というのは、そのため。

【誕生後の、環境・情報との遭遇・コミュニケーション】

・成長にしたがい、〈追加・承認項目〉が追加される。

※ 幼稚園で、「ケーキ屋さんになりたい」「幼稚園の先生になりたい」と言うのは、そのため。


・成長にしたがい、〈初期・承認項目〉が編集される。

※ 親に「言動不一致がある」と、〈初期・承認項目〉が否定、変更される。





大谷選手の場合は、

「親の身体能力」が遺伝しており、「スポーツで勝てる」経験から〈自信〉が生まれた。
だから、「本人の決断」が「成功に導く」。


そうじゃない場合は、映画「天一の国」の主人公のような「艱難辛苦の人生」が待っている。


ちなみに、私の場合は、

・父親は、「放任主義」を言い訳に、育児放棄。それだけならよかったが、幼児期の私に、彫塑の展覧会に出品する、フルートを吹くなど「芸術を愛好する」姿を見せた。仏教に関する興味や、西洋文明に対する批判精神も・・・。だが、それらは、「(父の)印象」であって、私は、「父から何も教わっていない」。  

→ それが、いまの私の「指向」を決定している。

・母親は、「手に職をつけろ。大工になれ」と、「時代遅れの考え」を連呼する。だが、私は「腕力が弱い」ので、母の言葉に「一切の妥当性はない」

それ以上に「噴飯もの」なのは、「嘘をつくな」とこどもに言っておきながら、本人たちは「嘘をついていた」こと。

子は、「親の嘘を見抜けない」。何故なら、〈刷り込まれる〉からである。


私が、「両親の嘘」を確信するのは、妻と結婚した30代半ば。両親は妻に「こどもたちをダマしていたいたこと」を告白した。

人間とはかくも弱いもので、「両親の精神」は、懺悔しなければ正常を保てなかった。

娘が3歳の誕生日。写真を撮っていた父は、何故か、撮影したフィルムを開けてしまう。

私の推測だが、娘の誕生日のお祝いで、「父が私にしたこと」がフラッシュバックして、「訳の分からない行動」をしたに違いない。

それから数年たって、私が42歳の時に、「お前の顔を見ると、お前にしたことがフラッシュバックするから、顔を見せるな」と、母からファックスが届いた。

2000年秋以来、私は両親・姉と逢っていない。

「運・縁」があれば、人生は切り開かれていくが、それがないと、「人生は行き詰ってしまう」。

マスコミも、教育も、「たまたまの成功者」ばかり記述しているから、普通のこどもたちは、途方にくれる。


というか、「バカな親」に限って、

「こどもの名づけ」で、〈自己を実現しよう〉とするから、たまったものではない。

「名前」には神秘的な能力がある。
姓名判断は「統計学」ではなく、「霊数学」。
画数が、運命を司る。

そこに、「(親が)意味論」を持ち込む。
キラキラネームをつける親の「思い込み」は、衆目の了解づみである。



この記事は、「スポンタ版、パーソナル形成論」である。

娘が「保育園でいじめられて」以来、私は娘に「人間の行動原理」を解説してきた。

・「ストレスがある」と、人に優しくできない。「末っ子ができて、ストレスがある子」がいじめっ子になる。
「いじめ」の原因は、「コミュニケーションが原因」とは限らない。


私に「原理主義」を叩き込まれた娘の洞察力は、すでに父親を越えている。

昨日も、「私のパーソナル分析」は、「非言語を分析する」ところと豪語された。







引用元・全文
◆今でも15才の野球少年のまま
 大谷は1994年、岩手県に生まれた。地元の花巻東高校に入学した15才の頃から8年以上にわたって彼を取材してきたスポーツライターの佐々木亨氏が言う。
 「メジャーリーガーになった今でも、大谷選手の考え方や野球に取り組む姿勢は初めて会った15才の頃から変わっていない。純粋に野球が大好きで仕方ない、まっすぐで素直な少年のままです」
  大谷の「まっすぐで素直な心」を育んだのは、社会人野球で活躍した父と、バドミントンで国体出場した母だ。
 「大谷家の教育方針は、“決断は本人に委ねる”というものでした。実際、幼稚園から続けていた水泳を小学5年生でやめて、野球一本に絞ったのも本人の決断です。親が口を出さずに子供の考えを尊重することで、大谷選手の“考える力”が養われました」(佐々木亨氏)
  地元の水沢リトルリーグで野球に全力投球する小・中学生時代を送った大谷。当時彼を指導していた水沢リトルリーグの佐々木一夫監督が当時を振り返る。
 「1を教えると5を理解するような吸収力と、どんな格下の相手でも絶対に手を抜かず、全力を出すところが印象に残っています。一貫して野球に対して貪欲で、芯を持っている子だと感じました」
  中学卒業後の2011年、野球の強豪である花巻東高校に入学した。
 「高校時代に恩師となる佐々木洋監督と出会い、目標設定の大切さを知りました。高校の先輩で現西武ライオンズのエース菊池雄星投手への憧れもあった大谷選手に対して、佐々木監督は『誰かを目指すとその人以上にならない。超えたいと思わないと、その人を超えることはできない』と諭した。そして、『お前なら絶対に160km出せる。そのために目標を163kmにしよう』と高い目標を設定して、野球に取り組ませました」(佐々木亨氏)
  大谷が高校時代に書いた自分の未来予想図には、「18才メジャー入団」の文字が躍っている。その言葉通り、大谷は高校卒業後、「即メジャー挑戦」を表明する。だが、それに北海道日本ハムファイターズが「待った」をかけた。
 「メジャー志向を明らかにしていた大谷をドラフトで強行指名した日ハムの栗山英樹監督らは、何度も彼のもとに足を運んでさまざまな資料を示して、『大谷翔平の成長には〇〇が必要だ』と語りかけ、投打に挑戦する『二刀流』を提案し、彼の夢を真剣に考えた。そして、熱意を持って新たな道を教えてくれた日本ハムに、大谷は入団した。当時、メジャー球団は大谷を『投手』として評価していたので、卒業後すぐ海を渡っていたら二刀流は実現しなかったはずです」(同前)
  日本ハムが大谷獲得の交渉で使った言葉が、「急がば回れ」だった。
 「10代で渡米してマイナーリーグを経てメジャーに挑む過程も魅力ですが、まずは日本でやってからアメリカへ行ったほうが成功する確率が高く、結果的に長く活躍できるという話も日本ハムはした。その姿勢や考えも、彼が日本のプロ野球へ進むきっかけになったと思います」(佐々木亨氏)
  この決断は幼い頃から自ら物事を決めてきた大谷だったからこそできたものだろう。そしてこの決断こそが大谷を野球界だけに留まらない“国民的大スター”へと押し上げたのは、ご存じの通りである。
※女性セブン2018年5月10・17日号
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