2018年04月18日

若林史江様: 「英語耳」よりも大切なこと。


若林さんの「子育て」に関する悩み方が、かつての自分と似ているので、アドバイスしたくなった。




娘は社会人2年生になり、「子育て」の私なりの結論が出ている。


現在の「子育て」に関する情報は「人間は考える葦である」という「思索」中心主義がほとんど。無闇に従うと理不尽な思いをする。


私が最初に疑問に思ったのは、


・怒るな。叱れ。


これを信じている人が多いが、間違い。


・親は教師ではなく、子の「承認者」。

※ 承認者とは、アドラーの心理学におこる「承認欲求」による。


したがって、「叱る」のは喜怒哀楽がなく、人間味がない。親は、愛情を持って、子に、自分の喜怒哀楽を見せるのが望ましい。


ロッテンマイヤーさんに、なってはならぬ。




ブロガーのsponta中村です。


こんな記事をブログに挙げました。



◇    ◇    ◇


「5時に夢中」月曜日を観ている。


投資家の若林史江さんは、お子さんが1歳ということで、臨席のマツコ・デラックス嬢が話題をふるのだが、今回は、


・20歳代のママ友が沢山いて、彼女たちは英語のRとLの違いを明確に発音出来る。息子にも、そうなって欲しい。


と。




前にも記事にしているが、若林嬢が「近所のエリート高校の周りをドライブした」。息子に「エリート高校に入って欲しい」という思いに反応したもの。



私の記事は、


・1歳前後の「子育て」の目標は、「自己肯定感」の確立と「情緒の安定」。


「エリートになること」は悪い目標ではないが、「偏差値で高得点をあげること」が得意でなければ、本人にとって「人生は楽しくない」。


「偏差値で高得点が得意」なら「東京大学をめざせ」ば良い。

そうでないなら、GMARCHレベルの大学でも劣等感にとらわれた人生にはならない。


近年は受験制度も多様化しているから、ペイパーテストに頼らなくても、最難関私立大学に合格できる。(娘の場合は、AO入試でSFCに入学した)


文系の就職で最強なのは(東大を除けば)、慶応の体育会系(野球部・ラグビー部)。






今回の「英語耳」に関して、私の経験・理論は以下、


・「英語耳」よりも重要なのは、「人種偏見」を持たないこと。社交性(コンビィビィアル)。


・アメリカニズム(西欧礼賛)とインターナショナリズム(国際感覚)は異なる。




こんなエピソードがある。


娘のいとこは2学年上。彼はドイツのフランクフルトで生まれ、パリで育つ。


一時帰国で我が家に滞在した6歳頃、娘と公園に行ったが、外人を見て、「後ずさり」した。

一方、我が娘は「公園デビューから、外国人との交流を心がけてきた」ので、肌の色や目の色、髪の毛の色が違っていても、「平常心で交流できる」。




頭で「人種偏見はいけない」と理解するのと、最初から「人種に違和感がない」のは大違い。そのためには、「物心がつかない頃の国際交流経験」が重要である。


ことが複雑なのは、


「物心がついた後の国際交流体験」だと、「外国人の友人がいること」に優越感を感じてしまう。(これは、娘の友人で経験ずみ)


これも歪んでいる。「ノーマライゼーション」ではない。




娘の場合はラッキーで、以下のような経緯があった。


・公園デビューの直後に、イギリス人の男の子と幼なじみになる。(一緒に採った梅の実を、妻がジャムにしてプレゼントしたり、男の子の前で、私が日本の独楽を回したり、親の努力の結果である)

※ 彼の母親は、サフィア・ミニーさん(フェア・トレードで有名)


・家政婦のサリーさん(フィリピン人)と親しくなる。彼女は私の拙い英語(ルー大柴レベル)につき合ってくれた。

※ サリーさんは英語を喋るが、考え方は東洋人であり、リスペクトできた。


・イギリス人の男の子に妹(ナタリー)が生まれる。


・ナタリーは、(私たち夫婦の働きかけで)娘と同じ保育園に通う。


・イギリス人の妹の友人(タータ)と出会う。

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・タータ(アフリカの大使館員のお嬢さん)との交流が始まる。


・イギリス人兄妹&タータを、日本こどもたちの地域コミュニティー(児童館まつり、柔道教室、区民プール)に巻き込む。


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・タータの妹(バメ)の誕生日に、「英語をしゃべれない娘」がただ一人参加する。(私は送りに行って、迎えに行っただけ)英語が喋れないため、オレンジジュースが染みたサンドイッチを娘は食べる。タータのママは「無口な子」と思っていたそうだが、「英語がしゃべれなかった」だけ。


・・・彼らがインターナショナルスクールに通うようになると、イギリス人兄妹、タータとの交流は減っていく。その理由は、娘が「英語を喋れない」から。




私は「努力が無駄になった」と落胆したが、「英語耳」は育てられたようで、中学3年、高円宮杯英語弁論大会の東京都代表になった。


2009_takamado.jpg



このエピソードを紹介したのは、「言葉で遊ぶ」以前の時期に、「外国人と友達になる経験(国際交流)」が貴重なことを知って欲しいから。




私たちは、インターナショナリズムとアメリカニズムの違いを理解すべきであって、英語を習得する理由も、「西洋化」するためではなく「国際化」するためであるべき。


娘の場合は幸運にも、ボツワナ共和国大使の令嬢と幼なじみになることが出来、「インターナショナルな感覚」を身につけることができた。


時代はモダニズムから、ポストモダンに変化しており、西欧礼賛一辺倒では、時代遅れである。




タータの妹は、娘を見て「あんな服が来たい」とママにせがんだが、「あなたはアフリカの女の子だから似合わない」と諭されたとか。


nat_bame.jpg

一方の私たちは、アフリカ人の幼児のかわいさは格別。そして、大人たちの「ラスタカラー(緑・黄色・赤)」と「(単純な黒ではない)肌の色」に合わせて衣服を「カラーコーディネイト」しているのを素晴らしいと感じ、リスペクトする。


「自分の肌の色」に合わせて、カラーコーディネイトする日本人などいない。


私たち父娘に「人種偏見」は無縁である。




日本海軍の山本五十六は、「やってみて、教えてやって、させてみて、褒めてやらねば、人は育たず」と言っている。


「子育て」も同じで、「英会話教室」に通うという安直なやり方ではなく、「親が子を連れて、国際コミュニケーションを積極的に行う」ことが重要である。



そして、どうなったか・・・。

娘は現在、社会人2年目。


イギリス人の兄妹はロンドン在住。最近でも、FACEBOOKを通じて交流があり、日本マーケット参入を計画している彼の友人に協力者を紹介した。





タータの父親は駐日ボツワナ大使として赴任し、交流が再開するが、急逝する。
通夜・告別式に赴いたが、出席した日本人は、(不動産業者を除けば)私たちだけ。そのことは、私たちが国際コミュニケーションを開拓したことを意味する。


pula.jpg



悲しいことばかりではない。タータは、ミス・ボツワナになり、ワシントンの世界大会に出場した。

miss_b.jpg







幼い日、私が「子育てで、心がけていた」のは、「この世界が、小さく見えること」。


It's a small world.


である。




追記:

映画「モスキート・コースト」の最後のセリフは、


「父がいた時、世界は小さく見えたが、父がいない今、世界はとてつもなく広い」


ハリソン・フォードが演じた主人公は、「マッド・サイエンティスト」だったが、「理想を提示し、それに向けて活動し続けること」こそ、親のあるべき姿だと思う。









追記:

ワールドファミリーの「ディズニーの英語教材」は悪くない。

2歳になる前なら、絶対にオススメ。それ以降だと、「日本語を通じた英語になってしまう」から、手遅れ。


どちらにしても、「英語が喋れる」ことよりも、「コミュニケーション」を逃げない。「(言語・人種に関わらず)相手を思いやれる人間」になることが肝心。目標すべきと思われる。

posted by sponta at 16:21| 東京 ☔| Comment(0) | 公開メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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