2018年04月30日

大谷翔平君を「自己肯定感フレーム」で考察する。



人格は、〈承認者〉と〈承認項目〉の妥当性によって決定する。

〈承認者〉とは大概の場合、両親。

〈承認項目〉とは、「(親の生き方を通じて表現される)親が子を認める要素」。それは、家訓や家業が大きく影響する。
・・・親が言っていることと、やっていることが矛盾していたり、親が言うことが実現不可能だったり、社会の常識と異なっていると「子」は混乱する。




大谷翔平君の場合、「自己肯定感」は極めて円滑に達成されたに違いない。

父は、社会人野球の名門・三菱自動車工業横浜の選手で、怪我により引退。母は、全国大会準優勝チームのバトミントンの選手。

岩手県での生活。兄弟に恵まれた翔平少年は、〈承認者〉としての両親に疑問はなかったに違いない。

両親の経歴から、「スポーツで身を立てること」が〈承認項目〉になったことは言うまでもない。
さらに、一族は皆、長身。両親は全国クラスの元スポーツマン。翔平少年が〈承認項目〉を追求することの妥当性(成功の確率)は高い。

花巻東高校の野球部監督の指導も、翔平少年の〈承認項目〉追求の妥当性を「より確実」にさせたに違いない。

さらに、二刀流を実現させた日本ハムファイターズの監督の方針も〈承認項目〉を強化する。

このような揺るぎない〈承認項目〉こそ、彼の「精神的な安定」の源であろう。



対照として、貴乃花三世(靴職人)をとりあげたい。

相撲道を邁進する父・貴乃花二世は、「他人の子を指導する」には、「自分の子」をきちんと指導していなければ資格はないと、自らを律した。

その厳しさに音を上げた三世は、イタリアへの職人修行を口実に家を出るが、〈承認項目〉は明確だったに違いない。
なぜなら、「靴職人」としてマスコミからチヤホヤされても、「きちんとした靴を作らなければ、本末転倒」と自らを律する発言を繰り返しているから。




その一方、巨人軍元投手・桑田真澄氏の場合はどうだろう。

彼の野球道は、貴乃花二世の相撲道に通じるほど「ストイック」で、リスペクトできる。

だが、髪の毛を銀髪に染めた桑田二世を見ていると、親・真澄氏は、〈承認項目〉の定義を誤ったのではないか。と、思えてならない。

「人間は見た目ではない」にしても、自己肯定の表現としてあれほどの「異様さ」が必要なら、常軌を逸している。


父の「常軌を逸した」努力に学んだ結果なのだろうか。学校まで、車で送り迎えされたというエピソードからして、異様である。





〈承認者〉と〈承認項目〉の妥当性が、人格を決定する。

否、それらは「生きやすい」人生をつかめるかどうかにかかっている。

ならば、〈承認者〉である親は、〈承認項目〉について、細心の配慮を行うべきである。




子が「モラトリアム」な状況に陥るのは、イニシャライズ・初期項目が入力されなかったことによる結果であり、人生の徒費である。

ソクラテスもプラトンも「みんな悩んで大きくなった」というが、それは「人生の意味・価値について」悩んだのであって、「学者として人生を歩んでいくか」について悩んだのではない。
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