2018年04月28日

西部邁氏・中沢新一氏は、糞である。


40年ほど前だろうか・・・。
中沢新一氏を東大教授に迎い入れることに反対された西部邁氏は東大教授を辞任する。

当時の私は、東大のアカデミズムに反旗を翻した「英雄的」行為と認識したのを覚えている。



この後、中沢氏は「オウム真理教の養護をしたが、一切の自己批判をしない」ので、「(私にとっての)ヒーロー失格」になった




※ オウム真理教は「雑密」でしかなく「本密」ではない。先端の人類学で「モダニズムが相対化された時代」において、中沢氏は、オウム真理教にシガミツいたのだろうが、自己の学説を相対化せず、「難解な用語」で周囲を煙に巻く。

私は、「要約できぬテキストを紡ぐ人は、卑怯者」と看破し、松岡正剛氏を批判しているが、中沢氏も同様である。


※ 「雑密」は邪宗であり、「本密」は正統だが、その別は「体系化されているかどうか」にある。中国に赴いた最澄は「密教を学んできた」が、それが雑密であると察知し、空海が日本にもたらした「本密」を学んだ。国家派遣の留学僧が「誇りが傷つく」のも省みず、市井の僧に学んだのはすばらしいこと。




西部邁氏は、MXテレビで「旧制高校的な教養」を言説する。そんな彼を私は「昔ながら・・・」と唾棄していた。

自分のアイデンティティーである「東大に連なる教養」を相対化できぬ「ステークホルダー(自己都合)な個」である。


そんな彼が、周囲の人(弟子筋)を巻き込んで、自殺する。
自殺幇助で罪に問われることを容認するなど、「人として最低」である。

自殺の方法など、腐る程ある。

「自殺幇助をしなければならない方法」を彼が選んだのなら、彼は、自殺において、だけではなく、「生きていることすべて」において「幇助」が必要な人だったに違いない。

そんな彼が、「東大卒を錦の御旗にして」、偉そうに処世していた。

彼の学生運動時代からの友人の部下として仕事をしていた時期がある。
彼は、西部から新著が送られてきたのを数時間で読んで感想を述べたが、本人からちゃんと読めとクレームを言われた嘆いた。曰く、「あいつの書くことなど、分かっている」。



東大卒な人の大部分は、東大が「西洋洗脳のツール」なことを自覚しない。

だが、西洋洗脳が妥当性を持っていたモダニズムの時代は終わったのである。




つか、西洋洗脳の本質の一つである「自殺の禁」を西部氏はどうやって回避したのか。

理解不能である。
posted by sponta at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0