2018年04月26日

新概念「生成自己肯定感フレーム」。

【前提】

今年になって、ブログのタイトルを「ポストモダン通信」に変更した。

その理由は、1990年代に、「モダン(近代化)の時代」が終わり、「ポストモダンの時代」が来ているのに、日本(&世界)のマスコミ・教育界の自己都合によって、「モダンが虚構・ねつ造だった・通史的な妥当性がない」ことが明らかにされていないことを憤ったからである。


・モダン: 主観論・進化論(人間中心主義)

・ポストモダン: 客観論・相対論・メタ論(自然人間共生論)


とはいえ、いつか「モダンの時代は終わった」と気づく時が来るはずであり、その時、「(円滑に)次の時代に移行できる」ための情報を提出するのが、このブログの目的である。



【趣旨】

「ポストモダンの時代になった」ことを知らなくても、支障なく日々過ごせると、ほとんどの人が思っているのかもしれない。

だが、「ポストモダンの本質」である「メタ論(争点の客体化・当事者からの逃避)」を理解していないと「不毛な議論」を繰り返すことになる。

とりわけ、「子育て」においては、宗教的ともいえる「人間中心主義」を克服しないと、時代にマッチしない個性を育ててしまう。





私は「軽薄な左翼者」の両親に育てられ、「意味不明な青春時代」を過ごした。


お前の顔を見ると「自分のしたことがフラッシュバックする」からもう会わないと両親から断絶を言い渡されたのが42才。両親も「私にした理不尽なこと」を自覚している。

子育てにおいて彼らが宣言した「自由放任」は「育児放棄」と同意。
「進路を決める時点」で両親が私に示した指針は「矛盾命題」であり、その「妥当性のなさ」を確認・証明するのが、私の人生だったといえる。




私の内面はどうでもよい。

そんな両親に育てられたとしても「運・縁・実力」があれば、成功している人もいる・・・。





あるべきは、
古めかしい「モダン(人間中心主義)」の子育ての対照として、新しい「ポストモダン」の子育てを「定義」すること。




今回、私はチョムスキーの「生成文法」に習って、「生成自己肯定感フレーム」を提出する。





チョムスキーの「生成文法」とは、人間は「生得的」に、「主語」「述語」「目的語」などの構造(フレーム)を持っている。

そして、「後天的」に諸言語に接し、「言語」を習得する。

つまり、「言語習得」は「後天的な現象」ではなく、生得的に存在する「フレーム」を埋めるプロセスなのだ。

人間は「脳が優秀だから」ではなく、「生成文法」を持っているから、言語をマスターできるというのがチョムスキーの理論である。




私は、人間にとって「自己肯定感」が最も重要と考える。
その理由は、「自己肯定感」が欠如すると、「情緒不安」や「自殺」を起こすから。

そこで「自己肯定感」の確立の仕組みは、どうなっているのか。安定した「情緒」と「自殺願望」を排除するために、どうすればよいのかを考察する。

そして、チョムスキーの理論に従って、「生得的」と「後天的」に分けた。

そこで痛感するのは、モダニズムが主張するような「個人の思索」の「独立」はあり得ないこと。


ユングは「集合的無意識」といい、レヴィ・ストロースは「文化人類学」を提出したが、「何者にもとらわれない独立した思椎」は存在しない。



長いテキストを書いても、読む人は少ないだろうから、以下に図説する。



【(スポンタオリジナルの)ポストモダンの人間観】



【第一段階(生まれる前)〜第二段階(幼児期)】

・・・・・・・・・・0才・・・・・・・3才・・・・・・・・・・・
(生得的)・・・・【誕生】・・・・(後天的)・・・・・・・・・・
生成構造・・・・・・|・・・・・・インストール・・・・・・・・・
フレーム・・・・・・・・・・・・・・コンテンツ・・・・・・・・・
・言語・・・・・・・|・・(未使用言語の音声分析力の排除)・・・  

・自己肯定感・・・・|・・承認者の限定・・・承認項目の限定・・・
・・・・・・・・・・・・・生理的肯定感・・・理・知的肯定感・・・



【第三段階(中学生になる頃)〜最終段階】

・・・12才(中学生)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・バージョン・アップ・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・(社会的な存在感の確立過程)・・・・・・・・・・
インストールされた承認項目の妥当性の吟味・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・承認項目の是非により、承認者の妥当性の吟味・・・



【第四段階〜そして、親になる。】


・・・成人(言語&自己肯定項目のアイデンティティーの確立)
・・・社会的存在感の確立
・・・承認者の客体化=個人の確立





《まとめ》

モダニズムの人間観は「誕生→自我→独立」だが、そんなことは、ありえない。



独立した「人間」が存在し、それが「集団的・社会的」に絡み合うのが人間社会ではない。

「対人関係」がなければ、「人間」は「精神的な安定」を保ちながら存在できない。
このあたりは、心理学者・アドラーの言う通りである。




「承認者・承認項目」は〈必要不可欠〉。

それが欠落すると人格は崩壊する。




これが、この記事のキー・センテンスである。
この記事へのコメント
生成承認フレームは、「自分とは何か?」。その問いに答えるための手法を提供するために、構想しています。
Posted by at 2018年04月26日 07:00
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