2018年04月19日

卒意−−−。藤井少年棋士の初手は「お茶」。

先日、師匠との初めての公式戦があり、少年は当然のごとく勝利した。

勝負の後、「わざと負けた」と思われぬために、言葉を選んでいたが、師匠の本音は「弟子の出世」の妨げになってはならぬ。


師匠は、何度も席を立ったが、それは弟子に「ひふみんアイ」をさせるためだったらしい。

初手を指す前に、師匠はゆっくりお茶を飲んだが、その理由を「自分の将棋人生で最も注目される対局」の感慨と、これまでの人生を深く味わっていた。

師匠の師匠は早世したので、公式戦で師匠と対戦したことがない。
師匠の師匠の夢「中京地区から名人を輩出する」は弟子に繋がれ、孫弟子が今後夢を達成するに違いない。

展開はドラマチック。

「千日手」になり、再試合。
弟子が先手になり、稽古でもやったことがない手を指し、弟子が勝利した。




この日の師匠と同じく、藤井少年の初手はいつも「お茶」。

対局前に考え抜いているのだから、わざわざ「お茶を飲んで、時間を浪費する」道理はない。

「急いては、事を仕損じる」なのか−−−。


私は次のように思う。



実際に相手と対した感覚を大切にする。

事前につくっておいた作戦の是非を「お茶を飲みながら、考察し」、確信を持って初手を指す。

「用意と卒意」を意識してのこと。






本番に向けて、準備するのが「用意」。

現場で、「用意したこと」にとらわれず、「現場の状況」に臨機応変に対処するのが「卒意」。






人間は「準備したこと」に囚われてしまう。

ワールドカップサッカー日本代表の監督が陥りやすい罠。



私が理解できないのは、「速攻型」の監督だったり、「パス・サッカー」の監督が存在すること。

相手が「速攻型に最適な守備」をしてきたら、「遅攻型」のサッカーをすれば良いし、相手が「ショートパス対策が完璧」なら、ロングパスやドリブルを多用すればいい。

なのに、代表監督のほとんどは、「対策を相手に練られ・戦略が機能しない場合」、臨機応変に戦術を変えられない。
「卒意」がない。

というか、ピッチ上の選手の「卒意」を制限する。



速攻は、「突然、速くなる」から、「速く感じる」のであって、

パスサッカーは、「ドリブル」や「ロングフィードのパス」の選択肢があるから、効果的になる。



なのに、「戦術を掲げる」のが、指揮官の仕事とばかりに、「用意」ばかりして「(卒意のための)用意」をしない。



野球でいえば、「内角高め」の投球があってこそ、「外角低め」が活きる。胸元ぎりぎりの投球があってこそ、外角低めが「遠く」に感じられる。






ハリルホジッチ監督は、それ以前の問題。

「出場選手を競わせる」というスローガンを掲げたため、メンバーが固定できない。
結果、「やりたいサッカー」の姿が見えない。

最近になって、「香川選手を求めている」ようだが、「(香川)個人のひらめき」がチームを活性化させるかもしれないが、「チームの欠点を埋めるだけの表面的なサッカー」に終始するのかも。



ここまでの「用意の不在」は、メンバーたちに、限りない「危機感」を与えている。
だが、「卒意」のままに振る舞えることは、悪いことではない。

「敵をあざむくには、まず味方から」という言葉もある。今の状況が、本番の3試合でどう転んでいくかは、まったく分からない。




もちろん、それは「日本のサッカーを向上させる」ことでは一切ないので、ほめられた話ではない。



用意と卒意。

藤井少年棋士のお茶。

・・・そんな感じ。

posted by sponta at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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