2018年04月24日

「見えているもの」は、主観に過ぎない。

見えているものは、事実であり、客観的と、考えてきたと思う。


だが、人類学のパースペクティズムによれば、主観的であり、普遍的な真実ではないという。


・近いものが、大きく見える。


・遠いものは、小さく見える。


当然のことだが、自分に近いものが重要と考えるのは、「傲慢」であり、「普遍性」を持たないことは、納得できる。




3・11を経験して東京に戻った漫才師・サンドイッチマンが、六本木でカラオケ店の呼び込みに誘われ、違和感を感じたという。


呼び込みにとっては、何万人が被災し、何千人が命を落とそうとも、目の前の仕事が重要。


−−−これこそが、パースペクティズム的な現象である。




パースペクトとは遠近法。

近代になるまで、日本の絵画には遠近法がなかったのを、私は不思議に思っていたが、パースペクティズム批判を知ると納得する。

大和絵の俯瞰的な構図や、洛中洛外図、山水画にしても、遠近法てはない。

それらは、「個人の視覚」の再現ではなく、「普遍の表現」だったり、「民衆の記憶」なのかもしれない。

パースペクティズム批判を知れば、大和絵は「前近代な技法」ではなく、「普遍を描こう」とする技法ということになる。




結局のところ、遠近法は、近代主観主義(モダニズム)の思潮のひとつであって、全史的な普遍性を持つかどうかは疑わしい。


最新の人類学では、科学・近代の諸制度は相対化されると説かれている。


カメラのレンズで描写されるのは、当然のように遠近法だが、レンズの選択によって、さまざまに変化する。写真といえども、主観性と無縁ではない。
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