2017年09月04日

「勝ちたいと、強く思っている方が勝つ」は正しいのか。

スポーツ番組のコメンテーターの「最後は、強く勝ちたいと思っている方が勝つ」との解説をよく聞く。

浪花節のようで、なんとなく嫌な感じ。



昔、演出家の宮本亜門がオーディションの参加者たちに「情熱・パッション・パワー」が大事と煽っていたをを見て、嫌な感じがしたことがある。

歌やダンスや芝居が「情熱・パッション・パワー」だけで成立するはずもない。

fffだけでは音楽は成立しない。その前に、mpやpがあって初めてfffになる。最初から最後までfffのままだったら、mfである。

感情に変化がなければ芸術ではない。



サッカーも同じだろう。

「勝ちたい」を表現するあまり「ガンガンに攻める」だけでは単調であり、相手も守りやすい。「戦術として未熟」である。

「死ぬ気でやる」ことは重要だが、「死んだふり」ができなければ、勝てない。マリーシア(ズルガシコサ)も必要。

最近の長友が、「左サイドを駆け上がって、切り込む」のだけのワンパターン」を繰り返しているのは、馬鹿げた実例である。

ドーハの悲劇は、攻め続けたからこそ、負けたのである。

世界陸上100×4メートルリレーでは、メダルか8位と覚悟を決めて、「攻めるバトンパス」をしたのだという。

そのような背水の陣なら別。

ドーハの時、「時間をツブそう」というクールな精神のメンバーが一人としていなかったのが致命的だった。



「気持ち」だけが評価される。そんな現実はありえない。
「なりたい人」が成れなくて、「なりたくない人」が成る。そんな理不尽なのが現実・人生である。




実は、「気持ち」は、十分条件であって、必要条件は別に存在する。


しかし、それを多くの人たちは理解していない。

結果、フォルテシモだけの音楽や、攻めるだけの幼稚なサッカーが散見される。



サッカーの場合、必要条件は、

・技術
・体力
・戦術

だろう。

それらの条件を満たして、その上で、十分条件である

・「勝ちたい」という強い気持ち

が価値を持つのだと思う。

間違っても、心理至上主義に陥ってはならない。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0