2017年08月18日

娘、大塚国際美術館に行く。

娘が仕事で徳島に行くことなった。阿波踊りの取材もあるので、こんな時期になったようだ。現地入りする日に、大塚国際美術館に行くのだという。

この美術館は、一風変わっていて、展示されているのは、陶板の原寸大の複製。つまりは、偽物。
料金は3000円を越えているというのに、参観者の満足は高いという不思議な美術館。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8

展示作品の目玉は、原寸大でバチカンのシスティーナ礼拝堂とスクロベーニ礼拝堂の内部の壁画を再現していることである。

バチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画は、ミケランジェロの作品として有名。映画「ET」の指と指を近づけるシーンの発想となった壁画も含まれる。

一方、スクロベーニ礼拝堂は、日本人にはなじみが薄いかもしれない。
その壁画を描いたジョットが西洋絵画の起源の画家だということがあまり知られていないことが理由かもしれない。

西洋絵画というと、ルノアール、セザンヌ、ゴッホが真っ先にイメージされるかもしれない。しかし、それは「印象派」というきわめて特殊な作家集団でしかない。



それまでのビザンチン美術のモザイク画は装飾的であり、立体表現がない。しかし、ジョットの壁画には「立体が表現されている」。それが西洋絵画のスタートである。
というか、三次元表現の家屋が背景に存在することに妙な違和感がある。

私はものぐさなので、ジョットや当時に関する美術関係の文献に当たったことはない。というか、読んでも読んでも、知りたいことに出会えない不満がたまって嫌になっていた。

その印象からいえば、ほとんどの確率でここで書くことが書いてあるはずもない。美術とキリスト教は別ジャンルであり、両方に言及する考察などあるはずもない。



私が指摘したいのは、ジョットの絵画技法は、彼の独創ではなく、キリスト教の教義の変更によるものだということ。だとすれば、ジョットは時代に従っただけであって、革命的な芸術家ではなくなる。そんなことを美術研究家たちが論じるはずはない。



ジョットの作品では、「空間の中」にキリストが存在するので、キリストは「(創造神に)相対化される」。

一方、それまでの中世・モザイク表現(空間表現がない)では、キリストは「空間の中」で相対化されない。キリストは創造神よりも偉大である。ってことか。




その後、レンブラントの時代になると、光の表現が強調される。

ラトゥールの作品では、蝋燭の光に浮かび上がる幼きキリストが描かれている。そのことは、キリストが「空間」のもとに存在するとともに、「光」にも劣性だということを暗に示している。



現在はポストモダンの時代だが、民主主義は勿論、ニューヨーク証券取引所を中心にした国際資本主義を廃絶する訳にはいかないので、亜モダニズムの時代とでもいうような中途半端な状況が続いている。

「民主主義」の反対は、「非民主主義」ではなく、「家父長制」である。
「ニューヨーク証券取引所を中心とした資本主義経済」は、改められるべきであって、少なくとも「民族・国家自立的な資本主義経済」を実現すべきである。

陰謀論でいうと、パラサイト系のスピリットが「世界宗教による支配」を諦め、「モダニズム(個人主義・科学)による世界支配」に方針を転換する。その変化の第一歩がジョットの時代に起きたのである。


追記:
娘から、ジョットブルーを満喫。とのメールが来た。

主体的に鑑賞ができたようで、素晴らしい。というか、嬉しい。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 🌁| Comment(0) | スポンタと娘…。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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