2017年08月15日

サイレント・マジョリティーは嘘。

大衆の大部分は何も言わないという、サイレント・マジョリティーは嘘である。

正しくは、パッシブ・マジョリティー。受動的な大衆。大衆の殆どは、何も考えていない。情報を鵜呑みにするだけなのだ。



大学生は、高校までの受動的学習からの転換を求められるはず。

しかし、アカデミズムの陋習(ろうしゅう。悪い習慣)によって、本と本の間を行き来するだけで、大学生とて自分の頭で考えることは許されない。
つか、専攻してしまった学問なら、まず、受動的に読書することから始めなければ、教授に落第点をつけられてしまう。

もし、批判的読書を薦める授業があったとして、批判的読書に批判的な見解の論文を書いたら、落第点がつけられるに決まっている。これは矛盾である。

そのように、大学生のほとんどがクリティカル・リーディング(批判的読書)の習慣がない、自由がないのだから、大衆がパッシブ(受動的)なのも仕方ない。

結局のところ、利害関係(ステークホルダー)のないところにしか、クリティカルな立場は存在できない。




発信者の殆どは、劣情(ルサンチマン)から発信するノイジー・マイノリティー(うざったい少数派)であって、アクティブ・マイノリティー(良識ある発信者)ではない。

ノイジー・マイノリティーで、社会貢献のために発信する者は皆無。ほとんどが、ネガティブ発信・誹謗中傷の類である。



パッシブ・マジョリティー(考えもしない大部分)の中に、ごくわずかだがサイレント・マイノリティー(考えているが、発言しない人たち)が存在する。
彼らこそアクティブ・マイノリティー(主体的に考える人たち)である。

ノイジー・マイノリティー(うざったい発信者)は3%ほど。その10分の1。つまりは、センミツ、0.3%がアクティブ・マイノリティー(良識ある発信者)ではないかと考えている。


つまり、最低300人程度の閲覧者を持たないと、良質な一人と出会うことはできない・・・。

というのが、私の諦観である。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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