2017年08月14日

高橋秀樹さま。

「テレビが面白くない」を何とかするには・・・。

教育をイノベーションするには、大学受験制度を変えるのが手っ取り早い。

たとえば、「丸暗記は学習ではない。論理思考を習得すべき」と考え、教育現場で実行したとしても、それが日本の教育現場に広がっていくことはほとんどない。
しかし、大学受験で「論理思考を必要とする問題」をを採用するなら、日本の教育現場は大きく変わる。

事実、慶應義塾大学は日本で初めてAO入試を実行し、学生をテスト勉強でしか評価しなかった高校教育に変革をもたらしています。



たとえば、アイドルの世界。

アイドルの条件はルックス・歌・ダンス。
しかし、ルックスは「評価者の好き嫌い」でしかないし、歌やダンスの評価基準は世の中に流通していない。
結果、プロデューサー&事務所の「ごり推し」がはびこる。タカミナ嬢は「努力は必ず報われる」と繰り返すが、「どう努力してよいのか」女の子たちは分からない。
個別の指導者に従ったとしても、それは、その指導者を満足させたことでしかなく、社会的に評価されるかどうかは分からない。

「じゃんけん」や「投票」という「努力が報われないシステム」のAKBは、アイドルの本来持つべきスキルとまったく関係ないところで〈審査〉〈評価〉が行われている。

このような理不尽が、芸能人・アーティストを目指す女の子たちに悪影響を与えていることは間違いない。



一方、東宝ミュージカルや劇団四季はパフォーマンス
に一定の品質を保持している。
そのことは、オーディションの〈審査〉や現場の〈キャスティング〉に一定の〈評価基準〉があることを示している。

〈評価基準〉が、暗黙知・形式知として存在しているのだ。



「テレビが面白くない」なら、現在の唯一の〈評価法〉である「視聴率システム」を変えることが有効である。しかし、民間放送の根幹構造を変えることはほとんど不可能である。

ならば、「視聴率」に大きな影響を与えるツールを誕生させるしかない。
そして、視聴者たちがそのツールを見て、番組を選択する。そういう時代になればよい。


「視聴率をあげるための支援ツール」ならば、広告関係者・テレビ関係者ともに反対する理由はない。

そして、そのツールを作ってクリエイターたちが番組を作成し「高視聴率」を獲得する。そうなれば、テレビも面白くなる。



私が考える「テレビがおもしろくない理由」は、芸能プロダクションの力が強くなって、おもしろくない人をキャスティングすることが多いため。

漫才にしたって、ナイツ、サンドイッチマン、博多華丸大吉など、おもしろい人たちは存在するのに、そうでない人たちを、事務所のごり推しによってキャスティングしている。だから、おもしろくない。

または、芸能プロダクションの力が強くなって、「おもしろさ」とは異なる要求をするから。

そのような時代が続くと、視聴者の多くは「何がおもしろくて、何がつまらないのか」も分からなくなってしまう。
最近では、陰部をお盆で隠す芸人を「あんなものは芸ではない」と桂歌丸氏が嘆いていたが、そんな惨状である。



テレビ界の現状は、さまざまな事情をふまえた平衡状態であって、それを批判しても、批判者に影響力が無ければ何も変わらない。

散発的に、個々の作品・番組を批評しても無為。
少なくとも、〈評価基準〉を明確にした〈形式批評〉によって、個々の作品をウンヌンするのではなく、作品としての〈あるべき条件〉を提示し、それを広く流通させるべき。

BtoCは無理だとしても、せめてBtoBとして流通させなければならない。



アナロジー(類推)としてあげられるのは、ジャズ。

スウィングという〈評価基準〉が形式知化されて、大衆に共有されていないため、無味乾燥なジャズが流通して、ジャズの観客は減少してしまった。

その状況は日本ばかりではなくアメリカでも−−−。

数年前には、スウィングとは無関係なアスリートなドラミングを理想とする主人公が苦闘する映画「セッション」がハリウッドで制作され、アカデミー賞を受賞した。アメリカでも、一般人にジャズは理解されていない。

日本のジャズシーンでは、専門家たちもジャズ(グルーヴ)を理解しないため、ハイトーンやアップテンポのジャズばかりがもてはやされる。
大学生のビッグバンドジャズの最高峰のコンクールが、グルーヴとは無縁な、「早弾き演奏」を競う大会になっている。
同コンクールの審査員席には、日本の代表的なジャズマンたちが並んでいる。
スタンダードナンバー「スウィングしないなら、意味はないよ」を事実とするなら、日本のジャズはすでに終わっている。



日本の映画・ドラマも「面白さの条件」が共有されていない。コンクールの審査も政治的に決定してしまう。

このまま「面白さの条件(評価基準)」を暗黙知にしたままにしておくと、ジャンルそのものが衰退するに違いない。




暗黙知の形式知化(図やテキストにすること)こそ重要。そのためには、〈主観〉を披露することは自重しなければならない。

そんなことを思っている。


追記:

固有名詞がないと価値がない情報はゴシップに過ぎない。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 公開メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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