2017年08月13日

狂詩曲とは叙事詩であった。

叙事詩と叙情詩の違いについて、深く考えている。

ドラマは叙情詩であり、歴史は叙事詩である。

小説では「心の声」を作品の中に存在できるが、ドラマでは「ナレーション」は〈説明〉であり、タブー。つまり、向田邦子作品は、文学とドラマの折衷物であり、ドラマのタブーを犯している。
倉本聰氏の作品も、主人公の心の声を多用しているから同様である。



ドラマか、表現か、描写か、説明か−−−。というのが、重要である。

たとえば、バカに向かって「おまえはバカだ」といえば、説明セリフである。
だが、バカが「ぼくはバカじゃない」といえば、表現であり、ドラマになる。



わかりづらい概念も英語にすると分かりやすいことはよくある。

たとえば、批評と評価も、クリティックとエバリュエーションという、なんだか分かったような気分になる。

つまりは、批評とは基本的に「悪口」であり、評価とは「讃辞」である。



必要条件と十分条件は、ほとんど日本語では理解できない。

必要条件は、ネガティブチェックであり、
十分条件は、ポジティブチェック。


つまり、

出がけに、チェックリストを使って、「ハンカチを持ったか」「ガス栓を締めたか」をチェックするのがネガティブチェック・必要条件。

一方、
「○○さんは、笑顔がすばらしい」と評価するのは、ポジティブチェック・十分条件。

同様に、

ポジティブフィードバックと、ネガティブフィードバックというのもある。
階段を上ろうとして段がなくて戸惑うのは、ネガティブフィードバックである。普段に人間は、段差との差を感覚として感じている。階段を上るという日常動作において、高さそのものを感覚しているのではない。



さて、叙事詩を英語に訳したら、エピックとともに、ラプソディーとあった。ラプソディーは狂詩曲である。

ずっと、狂詩曲とはどういうことか。狂った詩とは何かなんて考えてきたが、叙述することが狂った詩ということかと、妙に納得する。


もっとも、狂ったように情熱的という意味もあるらしいが・・・。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 芸術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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