2017年08月09日

長尾真先生の言葉。「とんでもないこと」に取り組め。

1960年代にコンピューターを使った「自然言語処理」に取り組んだ長尾真先生は、周囲から奇異な眼でみられたのだという。

工学部で言語を扱うなど、当時は考えられなかったとか。
大学の計算機も物理計算に使うのがほとんどで、長尾先生はやっとのこと深夜の時間を割り振ってもらったという。

周囲からキテレツと思われた先生の研究は、その後、英文翻訳システムに発展した。先生の研究がなければ、英文翻訳システムの完成は、10年遅れていたに違いない。


このブログでやっていることを、ほとんどの人が徒労と思うかもしれない。
だが、私はだけは、長尾先生が言うところの「とんでもないこと」をしている自負がある。

このプロジェクトと比べれば、ホリエモンが民間で宇宙を目指すなど「予定調和のプロジェクト」であり、金持ちの道楽でしかない。



このプロジェクトは以下のプロセスを予定している。

1、評価プロセスの策定。標準化。

2、評価プロセスを使った人的処理の実施。

3、評価プロセスを使った自動処理の実施。

現在は、「ポストモダンの評価法」「17世紀フランス古典演劇理論」の二つを策定し、それにより「(私だけの)人的処理」を行っている。

現在の課題は、「例外」を定義し、「例外」を排除することである。



具体的にいうと、昨年の大ヒット映画「シン・ゴジラ」は、〈17世紀フランス古典演劇理論〉に照らし合わせると、ゴジラを主人公とすれば、筋の単一統一性が存在する。
しかし、観客はゴジラに〈感情移入〉できないので主人公ではない。
ゴジラに対応する人間たちにしても、彼らの間に〈ドラマ〉と呼べるような「継続的な人間関係」は描かれない。

とすれば、「シン・ゴジラ」はアンチドラマ。ふたつの評価法の評価外。
例外。
分類外である。



とはいえ、大ヒット作品を無視するわけにはいかない。
そこで、ドラマ&アンチドラマという分類を設定した。


ドラマ:
・観客が感情移入する対象である〈主人公〉が存在する。
・〈主人公〉には意志がある。
・登場人物たちの「意志と意志」が対立する。

アンチドラマ:
・作家・マニアもの。
・トレースもの。(歴史・実話・原作)
・不条理・異化もの。

アンチドラマの存在を私は否定しない。
しかし、アンチドラマの作品といえども、ふたつの評価法を無視できない。何故なら、観客の大半は「ドラマによる感動」を求めて、鑑賞するから。


オムニチャンネルの時代。つまりは、多様なメディアで観客が視聴する時代において、最高の宣伝は「作品の品質」である。

「観客がもう一度観たいかどうか」が、コミュニティーで広がっていく。
アイサスという広告理論だが、コミュニティーコミュニケーションをSNSでねつ造することは一時的には可能だが、長期的には不可能である。


私のプロジェクトの価値はけっして低くはない。



文化系のオブジェクト(コンテンツ・パフォーマンス)の「自動評価」が可能になれば、世の中が大きく変わる。


カラオケマシーンの自動審査システムの発展系。不可能ではない。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 🌁| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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