2017年08月04日

公開メール、若林史江さんへ。育児書の多読はヤバイ。

「5時に夢中!」で、子育てを始めた若林さんが、育児書をたくさん読んでいるというので、アドバイスしたい。


はじめまして。

育児書をたくさん読まれているとのことですが、育児書を書いている人のほとんどは「教育者」であって、研究者・教師の片手間に育児をした人が多い。もし、じっくり子育てをしていたとしても、「自分の理論を実証するため」の育児であって、歪んでいる。

つまり、「近代的自我」「自由主義」「理想主義」などが「子育て論」の背後にあるのです。


ということで、興味がおありなら、以下をお読みください。

◇     ◇     ◇



たとえば、「体罰」はしないですむなら、それに越したことはない。
だが、現実はそうも行かないこともある。こどもの理解に訴えるのではなく、問答無用に押しつけるべき価値観もある。

東北地方では、ストーブでやけどをしないために、親がこどもの手をストーブにつけて、熱さや痛みを感じさせるという子育てがあるという。
「理解が万能」という教育論には限界がある。

娘が幼い頃、イギリス人の父親と息子(幼稚園児?)と一緒に公園の乗馬体験に行った。いつも温厚な父親が大声で息子をどなりつけているのに驚いた。
「馬の後ろに立つな」と言うのである。「理解によって教える」のではなく、「恐怖によって教える」べき重要なことがある。
イギリス人にとって、馬はとても身近な存在なのである。



たとえば「怒るな。叱れ」という教育論がある。

一時期、私はこれにダマされてしまった。
だが、本気でこどもに接していれば、これが間違いであることに気づくはずである。

乳児であろうと、幼児であろうと、相手を人間として接する。誠実でいようとするなら、「怒るな。叱れ」など実行できない。
親が偽りなく自己を表現することが、子供に対する誠実である。


「叱る」ような優越的な立場を、果たして親は持っているのか。私は娘に対して、「失敗者からのアドバイス」しかできない。

こどもは、親の喜怒哀楽を察知して「やってよいこと・やってはいけないこと」を判断する。親は「アルプスの少女ハイジ」に出てくる家庭教師のロッテンマイヤーさんではない。



私が一番にリファレンスすべきだと考えるのは、「犬のしつけ法」である。それは以下。

・毎日必ず散歩(公園)に連れて行く。
・一生懸命遊んで信頼関係を築いてから、しつける。


人間を特別視してはいけない。

人間は動物であり、科学的には、動物との差はほとんどない。

しかし、教育者にとって、動物と人間を一緒くたにするなど言語道断である。




どちらにしても、「犬を毎日散歩に連れて行く」のは飼い主の当然の勤めなのに、「幼児を毎日公園に連れて行く」ことが親の当然の勤めになっていないのは、不可思議である。

「幼犬の時期に、散歩に連れて行ってもらえなかった犬」は無駄吠えをする。
成犬になってから、毎日散歩に連れていっても、無駄吠えがなくならない。後の祭りである。

同じように、「幼児期のこどもを毎日公園に連れて行くこと」は、重要である。
「無駄吠え」のように症状が明確ではないから分からないが、「公園に連れて行ってもらった子」と「そうでない子」の違いは、保育園では明らかに違いが分かる。

公園に行かないで、ママ友が集まってだべっておしまい。そんな子育てをされた幼児は、ストレスを抱えている。

「外で遊ぶこと」は重要なのだ。



韓国ドラマ「食パン王・キムタック」。

パン対決を目前にした主人公がパンの全集を読み始めると、彼に心を寄せる女性が次のように言う。

「全集を読むなんて無駄。パンづくりで大切なのは4つ。小麦粉、イースト、塩、水。それだけを抑えておけばいい」。

韓国ドラマにならって、私が箴言を提出するなら以下。



・こどもをペットにしてはならない。(こどもが下、親が上)

・こどもの召使いになってはならない。(こどもが上、親が下)

・人間にとって一番重要なことは、「人見知り」「場所見知り」をしないこと。そのためには、親がそのような行動をしない。そのために、いろいろな人に会い、いろいろな場所に行く。


山本五十六は、「やってみて、教えてやって、させてみて、誉めてやらねば、人は育たず」と言っている。
それをしている親が、どれほどいるのだろうか。「叱る」は、山本氏が指摘した4項目のひとつでさえない。

小学生の頃、4月あたりに算数や国語のドリルを買いに行き、そのまま。そして、翌年の3月あたりに、「何故、お前はやらないのだ」と怒鳴られる。当時の私は、山本長官の言葉など知らないから、「自分はだめな奴」との劣等感を親から刷り込まれたのである。

もし、私に鳩山兄弟のように家庭教師がついていたら、東京大学に合格できたかもしれない。とはいえ、安部首相のように、家庭教師がついていても私立大学という可能性もある・・・。



ピアジェの発達心理学は間違っている。

成長期に「反抗期」があるとは限らない。
言語能力が「親に劣り」、言うことが言えなくて、ストレスをためていたこどもが、「言語能力が親に対抗できるまで発達した時期」に反抗する。

したがって、親がこどもを頭ごなしにせず、「こどもの意見」をきちんと聞いていたなら、反抗期はない。

親と子という関係ではなく、人間対人間という対等な関係を構築していけばよい。



20股の愛人関係という奇っ怪なコミューンをマスコミにさらしていた谷一歩という女性タレントがいた。
彼女は、「理想主義的な子育て論」を盲信した母親に育てられた。

その子育て論では、こどもの創造力を制限してはいけない。何でも、思いっきりさせるというもの。この理論によって、母親はこどもたちのしつけを怠ったに違いない。
親にしても、叱らないで済むなら、それに越したことはないから、叱らなくなる。だが、そのような子育てをされると、「自制心」が植え付けられないまま大人になってしまう。

女の子は基本的に「猫」だからまだましだが、男の子は「犬」的に従ったため、人生が台無しになる。
自制心によって、自分が抑えつけられない場合、それが外向的に出ると「家庭内暴力」、内向的に出ると「ひきこもり」になる。

育児書は、本当にヤバイ。




要は、人間対人間として、「喜怒哀楽のすべてで、こどもと接すればよい」。

そもそも「育てる」などというのが、親の思い上がり。同居人として、お互いが快適であることが第一。

次に、将来においても、それが継続するには、こどもが成長してからもハッピーでいられるようにすれはよい。

サザエさんのように、成長しないこどもなどありえないのだから。



追記:

「大人になった私がハッピーになれる」ような子育てを私は受けなかった。

その反動で私は、「大人になった娘がハッピーになれる」ように、さまざまな場所に出かけ、さまざまな人と友達になった。その後、ピアノを習わせたり、柔道教室に通ったり・・・。


・国際的なコミュニケーションでもっとも重要なことは、語学ではなく、オープンマインド。(人見知り・場所見知りをしない)

・つらい時に、自分を慰めるための音楽。

・いじめられた時に、負けない心を持つための護身術。


今年、社会人になった娘は「人見知り・場所見知り」をしない。
新卒とは思えないと、驚かれるようである。

石川遼君や芦田愛菜ちゃんのような大成功を納めた訳ではないが、それで納得するしかない。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | 公開メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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