2017年07月22日

日本のジャズ終了のお知らせ。

JUJU嬢が、ブルーノートの音楽祭に初めて出演することになったのだとか。

有名ジャズシンガーの彼女が出演していなかったのは驚きだが、逆にいえば、彼女が出演することによって、日本のジャズは完全に終了したことになる。



ジャズの〈評価基準〉はスウィングしていること。一般的な用語では、グルーヴである。

さらに言うと、ハーモニー感があることが求められる。
ハーモニー感とは、短音であっても、和音を感じさせること。


イベントにはエリック宮代氏も出演している。すでに日本のジャズは、世界的のジャズシーンから孤立したローカル音楽になってしまった。



バレーボールの世界大会にジャニーズ若手グループが出演するなら、観客たちは誤解しない。バレーボールを目指す人たちが、ジャニーズのようなルックスが必要と想うはずもない。

だが、JUJU嬢のブルーノートイベントへの出演は、すばらしいジャズヴォーカルとは、彼女のようなレベルと勘違いするだろう。



サミー・デイビス・ジュニアが東京でコンサートをした時、前座で、当時ジャズシンガーとして一番有名だった、しばたはつみ嬢が出演した。

袖にいた世界的なジャズ・エンターテインナーの彼は、彼女の歌を聴き、「クソ(もちろん、英語で)」と吐き捨てたのだという。

もちろん、マスコミにはネガティブ情報は流通しないから、この情報は実際に袖にいた代理店の人から聞いた話の又聞きである。

しばた嬢の歌にもタイム感・ハーモニー感は存在しない。言うなれば、ジャズの曲を歌っているから、ジャズシンガー。それだけのこと。

エラ・フィッツジェラルドと較べてみれば、違いが分かるはずだが、その違いが何なのか。多くの人は分からない。


スーパーフライ嬢もハーモニー感もタイム感もない。どんなにシャウトしても、「本物」ではない。



吹奏楽な人たちは、エリック宮代氏のプレイを理解しやすい。だが、ハイトーンで観客を魅了するなんて、なんと軽薄なことか。芸術家なら、慎むべきである。

大学ジャズな人たちは、アスリートなバディー・リッチなドラムに憧れる。だが、それはトランペットのハイトーンと同じ、芸術としての評価ではない。曲芸的な評価にすぎない。

ほんとうにすごいのは、スティーブ・ガッドは、派手になりがちなオカズを、ひとたたきで済ませたことがある。これぞジャズ。

ソニー・エモリーは派手なプレイをしつつも、けっしてタイムを狂わせない。芸術的なプレイをしている。

私は、エルビン・ジョーンズのようなエモーショナルなプレイが嫌いである。



ジャズで一番大切なのはスウィング。「スウィングしなければ意味がないよ」。

昭和な人たちが、「ジャズの定義」を暗黙知のままにして、形式知化(テキスト化・図式化)してこなかったツケが回ってきたのである。


否、昭和な人たちが、「ジャズの定義」を暗黙知として知っていたかどうかは疑わしい。日本ジャズ界の起源である秋吉敏子嬢でさえ、グルーヴしていないのだから・・・。

彼女の初期の演奏には、日本の民謡をジャズピアノにしたてたものがある。だが、日本の民謡には、旋律の背後にコード(和音)という概念がない。そもそもジャズにはならないのである。
posted by スポンタ at 07:19| 東京 ☀| Comment(1) | 芸術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ブルーノートの音楽イベント批判の記事を書いたら、そのイベントの広告が乗っかった。

それってどうよ。なんて、思う。
Posted by at 2017年07月22日 11:10
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