2017年07月22日

小栗旬君への提案の〈続編〉。

小栗旬君とは「日本の映画・ドラマに危機感を持っている人」の総称でもある。



彼へのメールの趣旨は以下である。

・「日本の映画・ドラマが面白くない」理由は、「現場がやりたいことができない」からではない。

・企画・編成・制作・演出・俳優のそれぞれの「ドラマが面白い条件」が異なっているから、「日本の映画・ドラマが面白くない」のだ。

・情報共有が不十分なため、「意思が統一されない」「複数の意思が折衷・合体」して、中途半端な作品になる。


と現状分析し、

・私は「映画・ドラマのおもしろさの条件」の〈標準化〉ツールを持っている。情報共有したい。


と、提案した。



〈ドラマ〉の「おもしろさの条件」の〈標準化〉ツールの概要は以下。


・超目標・主体性・対立(葛藤・人間関係の対立)

・進行感・焦燥感・喪失感


この〈評価基準〉にしたがって、映画・ドラマを評価・吟味するのだが、その前に〈分類〉をしなければならない。

つまりは、〈ドラマ〉とそれ以外を分ける。〈ドラマ〉はひとつではない。多様なのだ。したがって、ハヤシライスをカレーライスの〈評価基準〉で評価してはならないのである。



結局のところ、日本サッカーがアジアで苦戦するのは、アンチサッカー(ロングキックでゴール前にボールを放り込んで、偶然を期待するサッカー)がアジアで有効だからである。
意図的なパスを組み上げていくサッカーこそ、サッカーである。
したがって、アンチサッカーを練習でやることはできない。それは、サッカーを否定することになるから。

だが、負けている試合の最後の5分10分において、アンチサッカーが行われることは珍しくない。
だったら、アンチサッカーの練習もすればよい。
サッカーの戦術に、アンチサッカーも含めるべきなのである。




〈ドラマ〉とは何か。

〈ドラマ〉では、観客が「主人公に〈感情移入〉する」。


その点において、映画・ドラマにおいても〈アンチドラマ〉がある。
観客が主人公に〈感情移入しない〉ような映画・ドラマが存在する。
したがって、〈感情移入〉のありなしで、映画・ドラマを分類する必要がある。

 〈アンチドラマ〉

・叙事詩的作品
・不条理劇
・異化効果をもたらす作品
・原作トレース作品(文芸作品・マンガ原作・ドキュメンタリー)
 




そして、〈ドラマ〉の巧拙を決定するための〈評価基準〉。
それが、観客が〈感情移入〉する対象である〈主人公〉の存在である。

ヒーロー・ヒロインなど一人もしくは二人が〈主人公〉である。したがって、5人、10人と〈主人公〉がいるなら、それは〈叙事詩的作品〉。

もしくは、「出来の悪い〈ドラマ〉」である。



 「作品を貫く超目標」

【テーマ】

・超目標: 作品を貫く〈理想〉。主人公は、〈超目標〉に大きな情熱を持つ。
 




【構造】

「主人公の条件」

「葛藤を越えた決断」

・・主人公が〈主体性〉を持つことは、〈葛藤〉により表現される。
※ 葛藤がないなら、そのキャラクターは〈受動的〉であり、〈主体的〉ではない。たとえば、「相棒」の杉下右京は、「法治国家」という理想が強固で迷いがない。彼は人間性に乏しく、モンスター。観客の〈感情移入〉の対象ではない。


「アンタゴニストに負けない信念」

・・主人公の〈主体性〉は、〈アンタゴニスト〉によって、印象的に表現される。〈アンタゴニスト〉とは、人物配置における対立。コントラストである。




【構成】 

 「物語の進行」について。 

・・進行感: テンポが早いことによって、観客を飽きさせない。

・・焦燥感: テンポが遅くても、観客が飽きない。

・・喪失感: 観客が「物語の中の時間」が貴重に感じる。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | 公開メール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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