2017年06月07日

何故、アリストテレスのテキストが少ししか遺っていないのか。

映画「薔薇の名前」を観た。原作者はウンベルト・エーコである。
物語は、ショーン・コネリー演じる修道士の主人公が、修道院で起きた殺人事件の解明に乗り出すこと。
ネタバレとなるが、存在してはならない、異端・神秘主義のテキストに関連して、その存在を知った翻訳者が殺されたのである。

主人公は、聖書だけでなく、アリストテレスの言葉も引用する。そのようにして思うのは、プラトンのテキストが殆ど遺っているのに、アリストテレスのテキストが殆ど遺っていないのは、プラトンのイデア論は「別の次元の存在」を主張しているのに、アリストテレスは、すべてはこの現実に内包していると、別次元の存在を認めなかったからではないか。


作品では、悪魔が存在しなければ、人々は、キリスト教の必要性を感じないというセリフがある。
そのことは、キリスト教と悪魔教が表裏一体という意味である。


それを、アメリカ帝国主義と北朝鮮にあてはめるのは、拡大解釈が過ぎるのだろうか・・・。

私の相対性理論である。
posted by スポンタ at 06:56| 東京 ☁| Comment(0) | 芸術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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