2017年05月19日

許容されるフェイクニュース。

フランスの大統領選挙に関する情報操作の話。

ある候補者の陣営が、「移民が不法行為・暴動を起こした」とのニュースを流した。だが、その後、そのような事実はなかったことが判明した。

私が観たテレビ番組では、視聴者のコメントとして、フェイクニュースだが、許容するとの発言を紹介していた。

つまり、「事実はなかったのかもしれないが、ニュースをつくった人の意見に賛同する。だから、問題はない」ということのようだ。


ここにおいて、「事実と真実」の関係が理解できる。


同様に、あったのか、なかったのか分からない「南京大虐殺」。
これも、事実としてはなかったのかもしれないが、現在の中華人民共和国が、日本人や日本政府を痛めつけたいなら、あったことにしても一向にカマワナイ。
そういう論理である。

そもそも、大虐殺が可能な程の人口が当時の南京市になかったとしても、そんなことはどうでもよい・・・。



エクリチュール(文章)ではなく、パロール(会話)。

テキストではなく、意味。

事実を問うことは、些末な事にこだわることであって、あまり有効なことではないのかもしれない。




しかし、その一方で、「ありもしない事実をねつ造することによって、自分たちの言論の価値を高めよう」という人たちも存在する。

だから、日本のマスコミにおけるねつ造記事・誤報は、許容されない。


被虐史観・自虐史観の日本のジャーナリズムは、日本人の市民感覚から乖離している・・・。
posted by スポンタ at 02:03| 東京 ☁| Comment(0) | ネットウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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