この数が少ないのか、多いのかは分からない。
長期間、更新しないでいると、続けてくれと、嬉しいコメントを頂戴するので、なんとか続けている。
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中学時代の友達は、「お前は、昔と変わらない」と、大いに批判してくれた。
私の人生は、けっして上手くいっているとはいえない。だが、だからといって、ルサンチマン(怨念)にまみれた記事を書こうとは思っていない。
「利他的に…」。それだけを心掛けて書いているつもりだが、理解されているかどうかは分からない。
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そして、私がブログを書く理由。
それは、昭和という時代が終わって、平成という時代が来た。というのに、その違いを、誰も指摘しないからである。
私に言わせると、違いは以下。
・昭和は、メディアの時代だった。
・平成は、ウェブの誕生によって、メディアの恣意性・虚構性が明らかになった時代である。
たぶん、大正は、市民たちがメディアの胡散臭さに勘づいていたが、それが記録として残っていない時代であり、明治は、メディア作り始めた時代である。
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これは、私の想像でしかないが、中原中也の「汚れてしまった悲しみに」は、日本を守るための聖戦でなくなった友人の死の悲しみが、聖戦などではなく、西洋列強の争いに巻き込まれたに過ぎぬと分かったからではないか…。
東京大学は、西欧化のための洗脳組織である。
力道山、長嶋茂雄、石原裕次郎、美空ひばりらが、メディアの生み出したヒーローであることは、明確だろう。
彼らは、日本の求心力を生み出すとともに、その後、崩壊させることで、日本の求心力を崩壊させようと、メディアが企んだと、推理できる。
その意味で、浅田真央さんの2ちゃんねるの情報を見れば、その延長線上で、何かが行われていることが見て取れる。
2ちゃんねるにこそ、平成の今が見て取れる。
メディアを信じてはいけない。
メディアの都合を察するべきである。