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4月から従業員100人程度のベンチャー企業で働き始めた娘が、重役面談で、
「今年中に、企画書を書けるようになりたい」と言った言葉に対する返答である。
こんな言葉を吐く重役も凄いが、それ以上に、そんな言葉を投げかけられるポジションに就職できた娘の幸運に感謝する。
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いままで、私は企画書を何本書いてきただろうか…。100本は軽く超えるはずである。
だが、企画書が真剣に吟味されることはなく、コンペは社格によって、決定することがほとんどだった。
企画書を携えて会議室に入ると、企画書をななめ読みさえされぬまま「で…?」と聞かれることも、珍しくない。
結局のところ、企画書は面会するための〈口実〉〈きっかけ〉に過ぎない。
エクリチュール(書き言葉)は、パロール(話し言葉)には勝てない。
何故なら、エクリチュールは単一方向通信だが、パロールは双方向通信だからである。
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企画書を本格的に作るときは、それはセレモニーと同様。
企画書ライター、作画デザイナーなどを動員して作るのであって、企画者が草稿をまとめるのは、家内制手工業的であって、貧乏な所作でしかない。
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企画書を書いたとたん、書いた人は「評価される側」に落とし込まれてしまう。
だが、企画書を書かぬなら、「評価する側」でいられる。
娘は、「評価する側」の陣営として、幹部から期待されているのであろう。
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娘は、数学的な素養はないし、ち密な記憶力や論理的な構成力もない。
だが、社長氏は、「会社には、同じような人間は要らないから、君なりの個性を発揮してほしい」と言ったそうな。
娘には、パフォーミングアーツ系の身体知・感覚知が敏感・経験が豊富であり、そのような分野を専門にする人材は、会社には稀有だろうから、なんとかなっていく。
そう楽観している。