2017年03月22日

孔孟か、老荘か…。



ひさしぶりにソウルメイトと、メールのやりとりをしたのだが、孔孟的か、老荘的か…。
などという話題になった。

中国では、孔孟は昼の学問。老荘は夜の学問であるという。

組織人として、人生を邁進するなら、孔孟的な処世をすすめなければならないが、人間、死ぬときは一人なのだから、老荘的な達観も必要であろう。



さて、もうひとつ、プラトン的か、アリストテレス的か。というのがある。

プラトン的とは、「こことは別のところに、他の次元がある。だから、この世界は完璧」という考え方。
彼岸・あの世・アルタードステーツが存在するという立場。

一方のアリストテレス的とは、「ここ以外に別のところはない。すべては内包されている」という考え。唯物論であるかもしれない。

ロマネスク様式(丸天井・丸窓)は、プラトン的であり、ゴシック様式(尖塔・ステンドグラス)はアリストテレス的である。



アポロン的か、ディオニュソス的か。というのもあって、

アポロン的とは、人間の存在や本質を表現する芸術。
ディオニュソス的とは、感情を揺さぶることを目的にした芸術。

ロマン派はディオニュソス的であり、新古典主義はアポロン的ということになる。

ラフマニノフはディオニュソス的であり、ベートーベンはアポロン的ということか。
因みに、モーツアルトはロココ芸術(親しみやすい芸術)であろう。



上記には、認識論と存在論、唯物論・唯識論に戸惑い続けている人類の歴史があるのだと思う…。

のですが…。
posted by スポンタ at 07:07| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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