2017年03月10日

「あなたは、読んでいますか?」

と他人を責める人がいるが、それは、「読んでいる・読んでない」という問いで、自らの優越性を確保する所作であって、卑しい行為である。

あるべきは、「読んでいる」なら、その要約や価値を、「分かりやすく伝える」ことである。


つまり、「精読の時代は終わった」のであり、そもそも筆者の代弁者に甘んじることに価値はない。

これからは、さまざまな「要約」を総合し、自らの価値を求める時代である。





情報が溢れる時代、精読している暇はない。 

栗本慎一郎氏が「マルクスの資本論は読む価値がない」と言い切ってくれているので、読んでいない私は劣等感を感じる必要がない。

プルーストを読んでいない私も胸を張っていられる。
…というか、もし読んだとしても、要約を拒絶するこの文学作品に価値があるのかどうか。などと書くと、私が読んでいないのではなく、歯が経たなかった。読解力・鑑賞能力の欠如が露呈してしまう。

結局のところ、カウンターカルチャー・サブカルチャーなのだろう。つまりは、メインストリームの芸術がないと成立しない類である。



娘の卒論指導に関連して、娘がどうしても追加して採用したい内容があった。

それは、スネークマンショーである。



議論の本質は、こんなところである。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | スポンタと娘…。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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