2017年03月08日

指揮者・三ツ橋敬子さんの理想と現実。

先週の「題名のない音楽会」が指揮者の特集で、若手の3人の日本人指揮者が自ら憧れの指揮者をあげていた。
その3人とは、カラヤン、クライバー、ストコフスキーであった。

そして、三ツ橋敬子さんがあげたのがカルロス・クライバー

彼女は、かつて「情熱大陸」に出演していた。

http://omosirodougadehappy.seesaa.net/article/256598807.html


私が驚いたのは、三ツ橋さんが「天才指揮者・カルロス・クライバー」と自らの憧れを語り、さらに彼の特徴は「指揮しないこと」と指摘したこと。

カルロス・クライバーについては、以下のようなウェブ記事もある。

カルロス・クライバーは「振らない指揮者」として有名だった。おそらく完全主義者であった彼は、極く限られたレパートリーのみしか「振らない指揮者」であったし、ただでさえ少ないコンサートをしばしばキャンセルする、という意味でも「振らない指揮者」であった。特定のオーケストラの音楽監督に就任することは無く、「ベートーヴェン交響曲全集」をリリースすることなど、決して無かった。さらに、本番での指揮においても、曲の途中で文字通り棒を振ることをやめてしまう(音楽を止めるのではない)のであった。聴衆の眼には、この上無く個性的な指揮者として映ったことだろう。

しかしながら本当のところ、 C. クライバーの指揮は、常に基本に忠実であり、必要にして十分なものだった。曲の途中で棒振りを止めるのは、その部分で棒を振る必要が無いからだ。「振らない指揮者」は、言い換えれば「音楽的に無駄なことをしない指揮者」なのである。聴衆には珍奇に見えただろうが、演奏者にとって C. クライバーの指揮は、極めて見易く、極めて理に適ったものであった。

http://www.kay-n.com/archives/20040721.html 


上記のウェブ記事は、NHKが主催した東北の災害支援コンサートのコンサートディレクターだから、かなりの音楽通。というかプロである。
そんな人が、「クライバーが何故、棒を振らないか」の理由が分かっていない。その理由を「音楽的に無駄なことをしない」だと指摘する。

タイム感、および、タイムの共有という概念を知らないから、「音楽的に無駄なことをしない」などというもっともらしいオタメゴカシを言う。



三ツ橋さんの指揮を見てみれば、分かると思うが、彼女の指揮は、合唱コンクールの指揮者のよう。それが欠点であり、クライバーと彼女の違い。

それは何かといえば、タイムの共有である。
タイムの共有があるから、「棒を振る必要がない」のである。


三ツ橋さんはクライバーに憧れているのだから、身体知としては、タイム感の存在に気がついている筈だ。
しかし、言語知として把握できないので、あのような指揮になっている。

このあたりの複雑なところは、ヨーロッパのクラッシック音楽界においても、タイム感は暗黙知になっているので、彼女もそれなりの評価を得てしまう。



情念大陸では、「ぬめぬめ振っている私も悪いんですけど…」と、新日本フィルの楽団員たちに<強い進行感>を出して欲しいと指示する。ストラビンスキーの「火の鳥」である。

「私がやっていることなんて、たぶん誰でもやったら、誰でも私よりも素晴らしい指揮者になれると思うんですよ」。
「棒を振ることだけが、指揮者の仕事じゃないと思うんですよ」。



15年近く前、ある仕事で一緒になった人が東大卒の学者でありピアニストでもあった。最近、その人のアドレスがウェブで分かったので、「タイム感って知っていますか?」とメールを送ってみたが、返事はない。



三ツ橋さんは、ヤマハというタイム感と無縁な音楽教育な環境で育ち、指揮者を目指すようになっても、「日本的な時間感覚」の小沢征爾氏に学んでいる。

私からすれば、彼女がタイム感がないのは、彼女のせいではなく、彼女が育ってきた環境のせいである。
平成の現代は小沢氏が世界に出て行った昭和と違い、タイム感のない日本人音楽家が世界のトップで活躍できるような時代ではないだろう。


佐渡裕氏は日本の有名な指揮者の一人であり、ベルリンフィルを指揮して感動していたのを覚えている。
だが、彼が再度の出演依頼を受けたという話を聞かない…。
私は、その理由を、彼の「タイム感の無さ」であると確信する。



結局のところ、世界のトップ5に入るかどうかは、〈タイム感〉の有無にかかっていると、私は確信する。

私は学生時代、「プロになれるかなれないかの条件」は何かについて考えていた。

その時、なんとなく「タイム感のようなもの」に勘づいた。勿論、それが自分にはないという意味において…。



「情熱大陸」とは、三ツ橋さんが、右手はリズム、左手は表情を表現するのが指揮であると語るが、その底に、「タイム感」つまりは、拍がなければならない。

クラリネットのカール・ライスターとのリハーサルでは、巨匠から「私がブレスをした時に、待たなくていいですよ」と言われる。カール・ライスターには、タイム感があり、彼女にはタイム感がないということだろう。

とはいえ、巨匠はコンサートの後に、彼女のテンポ感を称賛していた。テンポとタイム。そのあたりは、きわめて微妙なことのようである。



番組では、彼女の「謙虚さ」を称賛してエンディングとなる。

だが、私に言わせれば、「タイム感がない私を使ってくれている音楽業界に感謝している」のが彼女の謙虚さである。


私は三ツ橋氏をバッシングしようとしているのではない。もし、彼女が〈タイム感〉という感覚で、自分の指揮を見つめ返せば、次のステップに進めるに違いない。そのためのアドバイスである。

暗黙知として〈タイム感〉を把握している彼女なのだから…。
posted by スポンタ at 12:41| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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