2017年01月19日

プロレタリア芸術を知らない人たちへ。



ベルリンの壁崩壊、ソ連の解体によって、いつの間にか無くなってしまったプロレタリア芸術。

共産主義を理想とする洗脳を通じて日本の国体を混乱・崩壊させようとした陰謀を、インテリたちが見破ることができず、芸術が洗脳ツールとして利用されたことは痛恨事であった。

学校の先生たちやマスコミ関係者などには、いまだに、その事実を認識できない人たちがいるものだから困ってしまう。


貧富の差を強調し、階級闘争を発生させ、内政を混乱させ、侵略する。それが、プロレタリア芸術の本懐である。



ほとんどの人は理解していないが、「平等」の反対語は「不平等」ではない。
「身分相応」である。




私が小学校高学年の頃、「小さい秋見つけた」という曲を好きな先生がいて、何度も歌わせているのを聴いて、嫌になったことがある。

日本の秋と、貧乏を関連付ける必要などない。

日本の秋は、「秋の夕日に照る山もみじ…」でよいのである。



つかこうへい氏の演劇に、青春の一時期、私は熱中したが、つか氏の演劇論は、階級社会を戯画的に強調し、それをドラマ的対立に落とし込むものだった。

だが、階級的な妄想が一段落した平成では、つか氏のドラマは、古ぼけて見える…。

階級社会とは妄想であり、対立を生む構図。
人間社会の本来は、身分相応である。

posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(2) | 芸術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最近更新されてないようですが
寂しいです
よろしくお願いします
Posted by 通りすがりではなく自分の意思で来ました at 2017年02月08日 20:58
コメントありがとうございます。

娘の卒論の総仕上げにかまけて…。
とはいえ、貴殿のような読者がいると、勇気づけられます。

コツコツと、書き続けてみましょう。

ありがとうございます。
あなたという読者がいる限り、書き続けます。
Posted by at 2017年02月12日 10:02
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0