2017年01月02日

大晦日の中村紘子氏の追悼番組に思う。

紅白歌合戦を観ていたら、リハーサルをやりすぎて、段取りになり、白々とした雰囲気のお笑い芸人たちを観て、つらくなり、Eテレで、昨年亡くなった中村紘子氏の追悼番組を観た。

番組は、彼女を絶賛していたが、生前の演奏は、彼女のダメさのすべてを表現しつくすという残酷な構成だった。

小品なら目立たなかったものを、「英雄ポロネーズ」やチャイコフスキーのピアノ協奏曲などの大曲だと粗が目立つ。
彼女のタイム感のなさ。たたきつけるタッチの音の汚さ。そして、晩年の録画だからだろうか、ミスタッチの多さである。



彼女は若き日に、旧世代からの反発で思い悩み、30歳を過ぎて、ようやく自信に満ちた演奏をするようになったとのナレーションがあった。それは、小説家・庄司薫との結婚が大きな役割を果たしたと・・・。

私は、中村紘子が、小沢征爾氏と同門であり、タイム感が希薄なテンポルバートな演奏をするので、旧世代から反発を受けたのであると、確信する。
つまり、小沢氏・中村氏が旧世代から反発されたのは、「世代間の摩擦」ではなく、「理想の音楽の違い」であり、タイム感を知っている私としては、旧世代に軍配をあげる。

テレビの本質は単純化だから、そのような子細を明らかにしない。
彼女を絶賛する人たちが複数登場したが、彼らは、彼女とともに、棺桶に片足を突っ込んだことが、分かる人には分かったはずである。



逝去された直後の追悼番組を観たが、生前の彼女が自分の人生をふりかえって、「ウハウハの人生」というようなことを語っていたのを覚えている。

そのような発言をする彼女は、かなりの確率で、自分のダメさを分かっていたに違いない。だからこそ、軽薄な言葉を口にしたに違いない。

そして、自分に対する不安をかき消すために、審査員をつとめたり、後身の指導にあたったに違いない。さらにいえば、自分の欠点をそのままに後身たちに指導していたことは、社会悪であるとさえ思う。

自分の演奏と、世界的なピアニストの違いは何なのか・・・。それを後身たちに指導しなければ、自分レベルの演奏家しか輩出できない。彼女は、そんな自己都合な指導者であって、社会悪である。



ところで、彼女は、バブル崩壊時に、プロの手口で売り抜けたとの評判である。
そのようなことができたのは、彼女の知り合いに、「バブル崩壊」を事前に知っていた後援者がいたに違いないと、私は邪推する。

結局のところ、彼女は、昭和のメディア・スターであり、そのようなメディア・スターの裏には、「陰の支援者」の存在がある。

長島茂雄氏は無垢な魂だから、そのような影響の陰を感じないが、そうでない人たち。
つまり、メディア・スターであり、それなりに知性を持った人たちは、そのような陰を理解して、自分の立場をもてあそんでいた感じがしている。

私は、生きている時の高倉健氏のファンであったが、彼が亡くなって、さまざまな情報が出てくると、彼がマスコミがつくりあげた虚像を楽しんでいた様子が伝わってくる。
それは、生前、マスコミの虚像に苦しめられた美空ひばり氏とは対照的である。



そのような感慨をもって、昭和を客観的に眺められる平成29年が始まった。
私のように昭和を回顧している人がいるのだろうか・・・。
posted by スポンタ at 06:01| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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