そして、大石静氏にしても、同様であると付け加えた。
しかし、これが三谷幸喜だったらどうだろう。
「俳優にはつながりがある」にしても、その俳優が死んでしまったら、つながりは無視して、制作が進められるに決まっている。
事実、おかくらの主人は替わりながらも、「渡鬼」は続いてきた。藤岡琢也、宇津井健、両氏のご冥福をお祈りする。
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結局のところ、そのような現状に甘んじてきたシナリオライターたちのふるまいによって、作品におけるシナリオの重要性が低下したのである。
女優が、作品全体を見渡して、本直しをするのだろうか。もし、それが出来るのなら、彼女は女優はやめてプロデューサーになればよい。
中園氏のシナリオが屑なのなら、直しに応じるのも仕方のないこと…。私は、その作品を観ていないので、それは分からない。