2016年06月03日

アマゾンの書評欄に書き込んだ。

http://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A5%E3%81%AE%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E2%80%95%E9%9B%A3%E9%96%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%85%A5%E8%A9%A6%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AE%E8%A7%A3%E6%9E%90-%E6%9D%BE%E6%9C%AC-%E6%88%90%E4%BA%8C/dp/4876478317

最難関私学の慶應義塾が、現代国語を試験科目として採用していない理由は、英語の試験で「語学力・論理的構成力は測れる」との理由があるようだが、そのことは、現代国語の試験で図られる国語力が「高度化しすぎている」ことの反映でもあろう。

そのような現状を憂えて、著者は、「国語(言語)研究者が、何を日々考えているのか」を誠実に記そうとしている。著者が「学者たちの言説」を書かなければならなかったのは、おおよそ文系の学者たちが念頭においている「言語学・記号論・構造論などの研究」が、小学校から始まる伝統的な国語教育とは不連続であり、表象論など高校までの学習内容を否定しかねないものさえあるから。
著者は、大学受験の参考書であることを言い訳にして、(国語の専門家ではない)高校生にも分かることを目指して、先端の研究成果から、きわめて大胆に、最重要事項を要約し、提示する。
つまり、著者は「衒学的」とは正反対の立場であって、その切れ味をこそ、楽しむべきなのが、この本である。

「大学に合格すること」だけを目標に、この本を読むのなら、この本は見当違いになるであろう。しかし、文系学問の大枠を知るためには、本著は恰好の題材となる。つまり、元高校教諭である著者は、大学入試をゴールではなく、学問のスタートとして捉えている。
禁じ手ともいえる、A社とB社の模範解答の添削をおこなっているところなど、著者の勇気はたたえられてこそあれ、批判されるべきではない。
posted by スポンタ at 08:16| 東京 ☀| Comment(0) | ネットウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0